先制パンチと極上の父性
独特な幸福感
久しぶりのデート。
スリットが深く入ったデニムのタイトスカートと白いシャツ。
デニムと同じような色のオープン・トゥのパンプス。
多分、那智さんはデニム系はあまり好きじゃないはずなんだ。
(カッコいい系は好きだけど、ちょっとカジュアルが入ると『大好き』じゃないと思う)
久しぶりだから、那智さんの好みピッタリの服装をしたけど、ピッタリすぎると危険。
好みのわたしをわんこにさせたい!!というテンションが上がってしまいそうだから^^;
過去、それで失敗した。
わんこは幸せだけど、やはりハードルは高くて簡単に大歓迎にはなれないから、やはりそれは失敗ということになっちゃうんだ。
だから、那智さんのピッタリ好みじゃない中で、良さげな服装を選んだのだ。
先に待ち合わせ場所に到着したら電話が震えた。
『いま駅に着いたけど、ホームの一番端に降りたから、少し待ってて。』
じゃあ、改札口までお迎えにあがりますよ^^
少しでも早く会いたいもの。
久しぶりだな^^
今日の服装はどんなふうに思うかな。
気に入ってもらえるかな。
ドキドキわくわく。
那智さんの姿が見えた。
よし最上級の笑顔、笑顔。
にっこり微笑んで
「おはようございます^^」
はにかむわたしの顔を見て、上から下まで服装を眺めて、また顔をじっと見る。
その間、2秒。
「顔、ムクんでない?」
え?
「腫れてるの?顔、ムクんでない?」
え?ムクんでない?
那智さん、おはようもなにもなしで、いきなり、ムクみ確認?
久しぶりのデートで。
服装も考えて。
わたしなりに合格点で。
きっと喜んでもらえるんじゃないかと、わくわくしてて。
『顔、ムクんでない?』
思ってもみなかった開口一番に、ショックが隠せない。
ムクんでます?わたし。
どうもわたしは自分に無頓着なところがあって、鏡を見てもそういうことはスルーしてしまうときがある。
だから、気づかなかったの?
ああ、それなのに、にっこり笑顔なんてしちゃって、なんだかわたしの恥知らず。
気に入ってもらいたかったわくわくが、一気に撃沈。
普段なら、そこまで撃沈にならないとは思うのだけど、この日は生理前だし、久しぶり(欲求不満=落ち込み気味状態)だったから、撃沈度が倍増してしまった。
恥知らずな自分にショック。
ムクんだ顔は見せられませんとばかりにうつむいて歩くわたし。
聞けば。
ムクんで見えたから、寝不足なのかな?それとも水分取り過ぎたのかな?と、わたしの調子を気にしてくれたそうなのだ。
「それでも、女性に対していきなり『ムクんでない?』はデリカシーなさ過ぎです。」
「もし、体調を気にしてだったら、まず『寝不足?』とかから話題にするべきです。そこから『ムクんでいるみたいだから』に発展させればいいじゃないですか」
もちろん、那智さんが体調を気にしてくれたことはウソじゃないだろう。
だけど、那智さんはそういうところがある。
そういうところってね。
先制パンチと軽いジャブだったら、絶対先制パンチをお見舞いするのだ。
『修マニア』で話したように、深く関わりたいと思う人の心に遠慮なく踏み込んで関係を構築させる那智さん。
様子を見て徐々に近づくなんてしないんだ。
いきなり先制パンチで衝撃を受けたところに、極上の父性で包み込むという、ある意味ズルいやり方をする。
そこは良いこころなんだけど、それは裏を返せば『デリカシーなし!!』にも取れてしまう。
まして、こういう日常のやり取りに於いては、余計にそう取られてもしかたがないようなパンチを無意識に繰り出すのだ。
もちろん、誰にだってそうするわけではないので、基本的には一般社会で問題になることはないはずなんだけど。
特に、わたしに対しては、「これを言ったら面倒になるかな」とか考えずにいたいと思って実践しているので、尚更のようだ。
わかってる。
那智さんの、そのズカズカ踏み込むところは魅力のひとつだ。
それでわたしはたくさん助けられてきた。
それにわたしに対してウソをつかないでいてくれることは、わたしも気持ちが楽だ。
変な深読みをせず素直でいられる。
だけど、いきなり女性に対して『ムクんでない?』は無神経すぎます^^;
いつもは大丈夫なんだけど、生理前と欲求不満が重なって、この後ちょっと大変だった^^;
マ○○に入ってもずっと悲しいまま。
「俺がりん子を傷つけたいなんて思ってないこと、わかってるだろ?」
「わかってますけど、悲しい」
そんな会話を繰り返し。
あげくの果てに、泣きながらハッシュドポテト食べさせてもらう始末。
『あ〜ん』って*^^*
マ○○を出るころにはずいぶん持ち直し『ハッシュドポテト一口しかくれなかった』なんて冗談でからんだりできるようになったけど。
ホテルに入ってからは、ソファに座る那智さんの胸に体を預けて、また涙。
これは安心の涙なんだな。
『はぁ〜、ここ安心』って。
髪を撫で、よしよししてもらうお決まりの甘えモード。
好きなだけくっつかせてくれてる。
体重を支える腕を取り、全体重を那智さんに預けるように仕向けてくれる。
極上の父性。
安心の涙を流しながら。
無意識にも先制パンチなんてしなければ面倒にならないのになーんて思う。
お手数かけちゃうな〜と思いながらも、まあ、これが那智さんの正攻法なのだよねと遠慮なくいただく。
多分、これはわたしたちのある意味真剣な『じゃれ合い』のはずだ。
でも、無意識に先制パンチしちゃうところは、やっぱり生粋の『負けず嫌い』だからかもしれないね^^
それはそれで、困った人です^^;
先制パンチを受け続けるには、極上の父性がセットになってなきゃやってられません(笑)
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久しぶりのデート。
スリットが深く入ったデニムのタイトスカートと白いシャツ。
デニムと同じような色のオープン・トゥのパンプス。
多分、那智さんはデニム系はあまり好きじゃないはずなんだ。
(カッコいい系は好きだけど、ちょっとカジュアルが入ると『大好き』じゃないと思う)
久しぶりだから、那智さんの好みピッタリの服装をしたけど、ピッタリすぎると危険。
好みのわたしをわんこにさせたい!!というテンションが上がってしまいそうだから^^;
過去、それで失敗した。
わんこは幸せだけど、やはりハードルは高くて簡単に大歓迎にはなれないから、やはりそれは失敗ということになっちゃうんだ。
だから、那智さんのピッタリ好みじゃない中で、良さげな服装を選んだのだ。
先に待ち合わせ場所に到着したら電話が震えた。
『いま駅に着いたけど、ホームの一番端に降りたから、少し待ってて。』
じゃあ、改札口までお迎えにあがりますよ^^
少しでも早く会いたいもの。
久しぶりだな^^
今日の服装はどんなふうに思うかな。
気に入ってもらえるかな。
ドキドキわくわく。
那智さんの姿が見えた。
よし最上級の笑顔、笑顔。
にっこり微笑んで
「おはようございます^^」
はにかむわたしの顔を見て、上から下まで服装を眺めて、また顔をじっと見る。
その間、2秒。
「顔、ムクんでない?」
え?
「腫れてるの?顔、ムクんでない?」
え?ムクんでない?
那智さん、おはようもなにもなしで、いきなり、ムクみ確認?
久しぶりのデートで。
服装も考えて。
わたしなりに合格点で。
きっと喜んでもらえるんじゃないかと、わくわくしてて。
『顔、ムクんでない?』
思ってもみなかった開口一番に、ショックが隠せない。
ムクんでます?わたし。
どうもわたしは自分に無頓着なところがあって、鏡を見てもそういうことはスルーしてしまうときがある。
だから、気づかなかったの?
ああ、それなのに、にっこり笑顔なんてしちゃって、なんだかわたしの恥知らず。
気に入ってもらいたかったわくわくが、一気に撃沈。
普段なら、そこまで撃沈にならないとは思うのだけど、この日は生理前だし、久しぶり(欲求不満=落ち込み気味状態)だったから、撃沈度が倍増してしまった。
恥知らずな自分にショック。
ムクんだ顔は見せられませんとばかりにうつむいて歩くわたし。
聞けば。
ムクんで見えたから、寝不足なのかな?それとも水分取り過ぎたのかな?と、わたしの調子を気にしてくれたそうなのだ。
「それでも、女性に対していきなり『ムクんでない?』はデリカシーなさ過ぎです。」
「もし、体調を気にしてだったら、まず『寝不足?』とかから話題にするべきです。そこから『ムクんでいるみたいだから』に発展させればいいじゃないですか」
もちろん、那智さんが体調を気にしてくれたことはウソじゃないだろう。
だけど、那智さんはそういうところがある。
そういうところってね。
先制パンチと軽いジャブだったら、絶対先制パンチをお見舞いするのだ。
『修マニア』で話したように、深く関わりたいと思う人の心に遠慮なく踏み込んで関係を構築させる那智さん。
様子を見て徐々に近づくなんてしないんだ。
いきなり先制パンチで衝撃を受けたところに、極上の父性で包み込むという、ある意味ズルいやり方をする。
そこは良いこころなんだけど、それは裏を返せば『デリカシーなし!!』にも取れてしまう。
まして、こういう日常のやり取りに於いては、余計にそう取られてもしかたがないようなパンチを無意識に繰り出すのだ。
もちろん、誰にだってそうするわけではないので、基本的には一般社会で問題になることはないはずなんだけど。
特に、わたしに対しては、「これを言ったら面倒になるかな」とか考えずにいたいと思って実践しているので、尚更のようだ。
わかってる。
那智さんの、そのズカズカ踏み込むところは魅力のひとつだ。
それでわたしはたくさん助けられてきた。
それにわたしに対してウソをつかないでいてくれることは、わたしも気持ちが楽だ。
変な深読みをせず素直でいられる。
だけど、いきなり女性に対して『ムクんでない?』は無神経すぎます^^;
いつもは大丈夫なんだけど、生理前と欲求不満が重なって、この後ちょっと大変だった^^;
マ○○に入ってもずっと悲しいまま。
「俺がりん子を傷つけたいなんて思ってないこと、わかってるだろ?」
「わかってますけど、悲しい」
そんな会話を繰り返し。
あげくの果てに、泣きながらハッシュドポテト食べさせてもらう始末。
『あ〜ん』って*^^*
マ○○を出るころにはずいぶん持ち直し『ハッシュドポテト一口しかくれなかった』なんて冗談でからんだりできるようになったけど。
ホテルに入ってからは、ソファに座る那智さんの胸に体を預けて、また涙。
これは安心の涙なんだな。
『はぁ〜、ここ安心』って。
髪を撫で、よしよししてもらうお決まりの甘えモード。
好きなだけくっつかせてくれてる。
体重を支える腕を取り、全体重を那智さんに預けるように仕向けてくれる。
極上の父性。
安心の涙を流しながら。
無意識にも先制パンチなんてしなければ面倒にならないのになーんて思う。
お手数かけちゃうな〜と思いながらも、まあ、これが那智さんの正攻法なのだよねと遠慮なくいただく。
多分、これはわたしたちのある意味真剣な『じゃれ合い』のはずだ。
でも、無意識に先制パンチしちゃうところは、やっぱり生粋の『負けず嫌い』だからかもしれないね^^
それはそれで、困った人です^^;
先制パンチを受け続けるには、極上の父性がセットになってなきゃやってられません(笑)

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ヤンキー万歳^^
独り言
わたしがお仕事をいただいているのは、この界隈では一応名の通ったホテルや会場が多い。
一流と言われている会場なので、多分費用もそれなりにかかると思う。
それが良いか悪いか別にして、お客様もいい年だったり、名前の知れた企業に勤めていたり、比較的高学歴だったりが多いように感じる。
こういうと『天狗』とかイメージしそうですけど、わたしはお客様運に恵まれているようでいやな思いをしたことが一度もない。(トホホなことは多少あってもね)
皆さん、その日をゲストへの感謝と、満足していただこうという気持ちでいっぱいで、こちらも一緒になって応援したくなる方ばかり。
司会のわたしが『祝福の空気』を作り出しやすくなるような『祝福の種』を持ってらっしゃるのだ。
ただ、概ね、年齢も年収も学歴も高いというお客様が多いという傾向にある。
仕事のほとんどはそれらの会場なんだけど、年に数件郊外のレストランや結婚式場からお仕事をいただくこともある。
そうすると、恐らくそれらが下がる。
まだ20代前半で、学歴もそれほど立派ではなくて、比較的ガテン系の仕事が増える。(えっと、わたしも学歴ないので、それを否定してるんじゃないですよ)
要するに、ヤンキー率が一気に上がるのだ。(でき婚率も上がる^^)
若いながらも家庭を持とうとする気持ちは立派だと思う。
だから、どちらが良い悪いということではないのだけど。
ちょっとトホホなところもあって。
ヤンキーさんは、まず忘れ物が多い(笑)
必要な資料を事前にお願いしていても、よーく忘れる^^;
それに、特に新郎はじっとしててくれない。
しょっちゅうタバコ吸いに行っちゃうし、携帯鳴るし。
しかも、どちらかというと非協力的なのだ。
話はどんどんおちゃらけた方向に行っちゃうし、決めないといけないことでも『はあ、俺どっちでもいいよ〜』とけっこう新婦任せ。
で、新婦は新婦で負けずに『ったく、話聞けよな!!』とすごんだりして。
こちらは、その痴話げんか(じゃれ合い?)から、軌道那智正しては話を進めという感じで、ちょっとトホホなのだ。
それでも、不思議だ。
『祝福の種』は必ず見つけられる。
20歳そこそこのできちゃった婚。
最初は式も披露宴もしないつもりだったけど、新婦の親がやっぱりやれということになって急遽親族だけの少人数披露宴を開くことになったのだ。
この新郎が、全然話を聞かない^^;
最初から全部新婦任せ、勝手に席を立ってタバコ吸いに行くし話を振っても目も合わせない。
多分テレているんだよね、自分が『ご新郎様』なんて立場であることに。
まったくもう、子供っぽいな〜と思うけど、テレている感じが手に取るようにわかるから、まあかわいいもの^^
いろいろ新婦(だけ^^;)と決めて、そろそろ打ち合せもおしまいという頃。
司会者は少しのことでも情報があるほうがいいから、『何かある?』と聞くのだ。
例えば、手作りの物とか、こだわりとか。
この時も『何か手作りの物とかありますか?』と聞いてみたら。
ウェルカムボードと席札を新郎が手作りしたと新婦が答えてくれた。
これはチャンス!!
新郎に話を振ったみた。
絵を描くのが好きなんだそうで、お金がないから自分で作ることにしたのだそう。
席札は、ヤクルトジョアの入れ物に紙粘土で人形を作って、一人一人似顔絵を描くそうだ。
「わあ、それすごいですね!!でも、描くのも飲むのも大変そう(笑)」って言ったら。
「そうなんっすよ〜。ジョア飲みまくり。」ってこの日はじめて、わたしの目を正面から見て笑った。
よし!!『祝福の種』ゲット^^
披露宴は20人ちょっとのとても規模の小さいものだった。
いつもの一流ホテルとは違う、ちょっと古い郊外の結婚式場。
マイクも音響機材も、ぜんぜんレベルが違う。
はじめて会うキャプテンが。
「新婦のお父さん、ずっと無言なんだよ〜」と困り果てた顔をして打ち合せにやってきた。
どうやら、披露宴をしろと言ったものの、このでき婚自体には反対なんだそうだ。
それでも、娘のために結婚式くらいはしろ!!ということだったらしい。
案の定、挙式が済んで、会場に入ってきた新婦父は口を一文字にしてブスッとしてる。
テーブルを横切り自分の席に向かう途中、チラッと席札代わりの人形を見た。
よし、チャンス!!
自分の席にも置いてある、紙粘土でできた決して出来のよいとは言い難い人形を手に取りじっと眺めている。
そそっと近寄りご挨拶をして。
「それは新郎の手作りなんですよ。ほら名前が書いてありますでしょ?皆さんにひとつずつオリジナルです。」
ちょこっと宣伝しておいた。
お開き。
新婦父は涙を堪えながら花束を受け取り。
新郎は泣きながら謝辞。
送賓が済んで、あれほど仏頂面だった新婦父が新郎の肩を抱き、しっかり握手していた。
娘を思う親とヤンキー少年、2人の新婦を大切にしようという気持ちがしっかり握手しているみたいだった。
手作りのアイテムが並ぶ披露宴はめずらしくないけど、紙粘土人形ははじめてだ。
小学生の工作みたいな紙粘土人形、完成度は『う〜ん』という感じだったけど。
でも、少し役に立ったかもね。
また、別のカップル。
こちらは、ふたりとも一生懸命なヤンキーさんたちだったけど、とにかく忘れ物が多い^^;
用意してねと言ったものをことごとく忘れる。
とっても大事なこと(プロフィールの内容とかね)も伝え忘れたりして、『ええ?それ聞いてないよ〜』とかいうのが後からポロポロ。
でも、一番『事前にそれ教えといて〜』というのが抜けていて、ちょっと慌てた。
人前式というの知ってます?
神様の前じゃなくて、参列している人の前で愛を誓うというもの。
式の流れは教会式とほとんど変わりないのだけど、牧師さんの代わりに司会者が進行を勤めるのだ。
披露宴内ですることもあるし、披露宴の前にチャペルですることもある。
誓いの言葉、指輪の交換、証明書に署名、立会人代表にも署名をしてもらう、だいたいそんな流れ。
今回はレストランウェディングで、披露宴前にその中庭で人前式を執り行うことになっていた。
披露宴内であれば皆さん席次表通りに座っているから、事前に立会人代表の方の顔と名前を一致させておけるのだけど、披露宴前だとそれができない。
お母様などが立会人代表であれば問題ないのだけど、今回は友人を代表に選んでいるから、事前にチェックできないのは少し不安だった。(基本的に前に出る方の顔と名前は一致させておきたいのだ)
でも、まあ、それほど大人数ではないし、多分わたしの声に反応してくれるだろうと思いながら人前式がはじまった。
新郎新婦による証明書にサイン。
続いて、本日お越しの皆様の中から立会人代表として新郎側新婦側からお一人ずつ前に来て署名をしていただきます。
新郎側『山田太郎(仮)様』と新婦側『佐藤一郎(仮)様』お願いいたします。
お名前を呼びながら『そうそう、新婦側も男性なんだよな〜、普通は女のお友達に頼みそうなのに』なんて思ってた。
多分、いきなりの指名だったのだろう、一瞬の間を空けてひとりの男性が出てきた(男性っていうか、まだ男の子って感じ^^;)
カジュアルな人前式だから『よ!!太郎!!』なんて言われてる。
えっと、こちらが山田様ね、新郎側。
すぐ動きがないから、もう一度呼んでみる。
「新婦側から佐藤一郎(仮)様、どうぞ前にお越しください^^」
次の瞬間。
一歩踏み出して動き出した人を見て、ちょっと驚いた。
佐藤一郎(仮)さんは、鮮やかなブルーのドレスを身にまとい髪をきちんとセットした女性だったのだ。
いただいた名前が間違えていたのかと、間違えて呼んでしまったのかと、一瞬心臓が凍りそうになった。
でも、ちゃんと見ると、女性じゃない、ニューハーフさんだということがすぐにわかる。
うわぁ、それ言っといてよ〜^^;
知っていたらフルネーム呼ばないよ〜。
わたし自身は、セクシャルマイノリティはまったく問題ないと思ってる。
むしろ頑張れと応援したい気分だ。
だけど、残念なことにまだ『日本の大人の社会』では、特にこういう形式ばった場所では、タブーはたくさんある。
名前を呼び前に出てもらう役割を、敢えて彼女にする必要はないと思うのが、いまの『日本の大人の社会』なのだ。
とても大切な友人で是非代表してサインをしてほしいというなら、せめて事前に知らせておいてくれ〜と、彼女の姿を見てから以降、『山田様、佐藤様ありがとうございました〜』とフルネームで呼ぶのをやめにしながら、忘れっぽい新郎新婦にちょっとトホホになっていた。
新郎は両親がいなくて里親が列席していた。
そのことも臆することなく披露して、その里親は新郎のヤンキー仲間とも仲良しだった。
佐藤一郎(仮)様のテーブルには、新婦の友人女性とそのお嬢ちゃんも一緒にいて女性4、5人で盛り上がっていた。
友人のお子さんの小さなお嬢ちゃんに『あ〜ん』と口を開けてアイスを食べさせてもらってる佐藤一郎(仮)様を見ながら。
あの小さな女の子は『男に生まれてきたけど、本当は女の子だった』という性があることを、きっとわたしたちより自然に受け入れることができるんじゃないかなと、なんだか嬉しくなってしまった。
こんなふうに少しずつでも、多種多様な生き方があるということをお勉強で知るのではなくて、それが当たり前に目の前にあって自然に身に付いていく、そんなふうになっていけばステキだな。
そのほうが、いまの日本の大人の社会よりも生きやすい気がする。
とても忘れっぽいヤンキーカップルだったけど。
もしかしたら、日本の大人の社会の物差しで計らない彼らにとっては『佐藤一郎(仮)さん』は特殊な人じゃなかったのかもしれない。
だから、わざわざ司会者に伝える必要がなかったのだとしたら。
なんだか、ちょっとステキじゃない!?と思ってしまう。
彼女が前に出た時も、披露宴で新婦のお父様にお酌されている時も、とても自然な空気が漂っていた。
一番不自然に慌ててしまたのは、わたしたちスタッフだったかもしれない。(キャプテンも驚いてた^^;)
わたしも『日本の大人の社会』が物差しなんだな〜と思うと、なんだかちょっと恥ずかしかった。
常識は大切だけど、それで生きにくい人がいるなら、そんな枠のない世界が少しずつ広がっていくのも悪くない。
もしかしたら、常識がないと言われている中からそういう価値観が生まれているとしたら。
話聞いてなかったり忘れっぽくても。
子供っぽい紙人形を席札にしてしまっても。
挙式の友人代表をニューハーフにしてしまっても。
実家が幹線道路が近くにあったから土曜日の夜は暴走族の音がうるさくてかなり迷惑だったけど。
でも、
なんだか、ヤンキー万歳だ^^
いろいろな人から『祝福の種』を見つけることが、わたしの仕事の大事なところで、とても幸福なところだと思う。
そういう仕事に就けていることに感謝しながら。
今日も精一杯の祝福を。
心から幸せを祝って、一生懸命働いた後のお酒はきっとおいしいはずだもの^^
わたしがお仕事をいただいているのは、この界隈では一応名の通ったホテルや会場が多い。
一流と言われている会場なので、多分費用もそれなりにかかると思う。
それが良いか悪いか別にして、お客様もいい年だったり、名前の知れた企業に勤めていたり、比較的高学歴だったりが多いように感じる。
こういうと『天狗』とかイメージしそうですけど、わたしはお客様運に恵まれているようでいやな思いをしたことが一度もない。(トホホなことは多少あってもね)
皆さん、その日をゲストへの感謝と、満足していただこうという気持ちでいっぱいで、こちらも一緒になって応援したくなる方ばかり。
司会のわたしが『祝福の空気』を作り出しやすくなるような『祝福の種』を持ってらっしゃるのだ。
ただ、概ね、年齢も年収も学歴も高いというお客様が多いという傾向にある。
仕事のほとんどはそれらの会場なんだけど、年に数件郊外のレストランや結婚式場からお仕事をいただくこともある。
そうすると、恐らくそれらが下がる。
まだ20代前半で、学歴もそれほど立派ではなくて、比較的ガテン系の仕事が増える。(えっと、わたしも学歴ないので、それを否定してるんじゃないですよ)
要するに、ヤンキー率が一気に上がるのだ。(でき婚率も上がる^^)
若いながらも家庭を持とうとする気持ちは立派だと思う。
だから、どちらが良い悪いということではないのだけど。
ちょっとトホホなところもあって。
ヤンキーさんは、まず忘れ物が多い(笑)
必要な資料を事前にお願いしていても、よーく忘れる^^;
それに、特に新郎はじっとしててくれない。
しょっちゅうタバコ吸いに行っちゃうし、携帯鳴るし。
しかも、どちらかというと非協力的なのだ。
話はどんどんおちゃらけた方向に行っちゃうし、決めないといけないことでも『はあ、俺どっちでもいいよ〜』とけっこう新婦任せ。
で、新婦は新婦で負けずに『ったく、話聞けよな!!』とすごんだりして。
こちらは、その痴話げんか(じゃれ合い?)から、軌道那智正しては話を進めという感じで、ちょっとトホホなのだ。
それでも、不思議だ。
『祝福の種』は必ず見つけられる。
20歳そこそこのできちゃった婚。
最初は式も披露宴もしないつもりだったけど、新婦の親がやっぱりやれということになって急遽親族だけの少人数披露宴を開くことになったのだ。
この新郎が、全然話を聞かない^^;
最初から全部新婦任せ、勝手に席を立ってタバコ吸いに行くし話を振っても目も合わせない。
多分テレているんだよね、自分が『ご新郎様』なんて立場であることに。
まったくもう、子供っぽいな〜と思うけど、テレている感じが手に取るようにわかるから、まあかわいいもの^^
いろいろ新婦(だけ^^;)と決めて、そろそろ打ち合せもおしまいという頃。
司会者は少しのことでも情報があるほうがいいから、『何かある?』と聞くのだ。
例えば、手作りの物とか、こだわりとか。
この時も『何か手作りの物とかありますか?』と聞いてみたら。
ウェルカムボードと席札を新郎が手作りしたと新婦が答えてくれた。
これはチャンス!!
新郎に話を振ったみた。
絵を描くのが好きなんだそうで、お金がないから自分で作ることにしたのだそう。
席札は、ヤクルトジョアの入れ物に紙粘土で人形を作って、一人一人似顔絵を描くそうだ。
「わあ、それすごいですね!!でも、描くのも飲むのも大変そう(笑)」って言ったら。
「そうなんっすよ〜。ジョア飲みまくり。」ってこの日はじめて、わたしの目を正面から見て笑った。
よし!!『祝福の種』ゲット^^
披露宴は20人ちょっとのとても規模の小さいものだった。
いつもの一流ホテルとは違う、ちょっと古い郊外の結婚式場。
マイクも音響機材も、ぜんぜんレベルが違う。
はじめて会うキャプテンが。
「新婦のお父さん、ずっと無言なんだよ〜」と困り果てた顔をして打ち合せにやってきた。
どうやら、披露宴をしろと言ったものの、このでき婚自体には反対なんだそうだ。
それでも、娘のために結婚式くらいはしろ!!ということだったらしい。
案の定、挙式が済んで、会場に入ってきた新婦父は口を一文字にしてブスッとしてる。
テーブルを横切り自分の席に向かう途中、チラッと席札代わりの人形を見た。
よし、チャンス!!
自分の席にも置いてある、紙粘土でできた決して出来のよいとは言い難い人形を手に取りじっと眺めている。
そそっと近寄りご挨拶をして。
「それは新郎の手作りなんですよ。ほら名前が書いてありますでしょ?皆さんにひとつずつオリジナルです。」
ちょこっと宣伝しておいた。
お開き。
新婦父は涙を堪えながら花束を受け取り。
新郎は泣きながら謝辞。
送賓が済んで、あれほど仏頂面だった新婦父が新郎の肩を抱き、しっかり握手していた。
娘を思う親とヤンキー少年、2人の新婦を大切にしようという気持ちがしっかり握手しているみたいだった。
手作りのアイテムが並ぶ披露宴はめずらしくないけど、紙粘土人形ははじめてだ。
小学生の工作みたいな紙粘土人形、完成度は『う〜ん』という感じだったけど。
でも、少し役に立ったかもね。
また、別のカップル。
こちらは、ふたりとも一生懸命なヤンキーさんたちだったけど、とにかく忘れ物が多い^^;
用意してねと言ったものをことごとく忘れる。
とっても大事なこと(プロフィールの内容とかね)も伝え忘れたりして、『ええ?それ聞いてないよ〜』とかいうのが後からポロポロ。
でも、一番『事前にそれ教えといて〜』というのが抜けていて、ちょっと慌てた。
人前式というの知ってます?
神様の前じゃなくて、参列している人の前で愛を誓うというもの。
式の流れは教会式とほとんど変わりないのだけど、牧師さんの代わりに司会者が進行を勤めるのだ。
披露宴内ですることもあるし、披露宴の前にチャペルですることもある。
誓いの言葉、指輪の交換、証明書に署名、立会人代表にも署名をしてもらう、だいたいそんな流れ。
今回はレストランウェディングで、披露宴前にその中庭で人前式を執り行うことになっていた。
披露宴内であれば皆さん席次表通りに座っているから、事前に立会人代表の方の顔と名前を一致させておけるのだけど、披露宴前だとそれができない。
お母様などが立会人代表であれば問題ないのだけど、今回は友人を代表に選んでいるから、事前にチェックできないのは少し不安だった。(基本的に前に出る方の顔と名前は一致させておきたいのだ)
でも、まあ、それほど大人数ではないし、多分わたしの声に反応してくれるだろうと思いながら人前式がはじまった。
新郎新婦による証明書にサイン。
続いて、本日お越しの皆様の中から立会人代表として新郎側新婦側からお一人ずつ前に来て署名をしていただきます。
新郎側『山田太郎(仮)様』と新婦側『佐藤一郎(仮)様』お願いいたします。
お名前を呼びながら『そうそう、新婦側も男性なんだよな〜、普通は女のお友達に頼みそうなのに』なんて思ってた。
多分、いきなりの指名だったのだろう、一瞬の間を空けてひとりの男性が出てきた(男性っていうか、まだ男の子って感じ^^;)
カジュアルな人前式だから『よ!!太郎!!』なんて言われてる。
えっと、こちらが山田様ね、新郎側。
すぐ動きがないから、もう一度呼んでみる。
「新婦側から佐藤一郎(仮)様、どうぞ前にお越しください^^」
次の瞬間。
一歩踏み出して動き出した人を見て、ちょっと驚いた。
佐藤一郎(仮)さんは、鮮やかなブルーのドレスを身にまとい髪をきちんとセットした女性だったのだ。
いただいた名前が間違えていたのかと、間違えて呼んでしまったのかと、一瞬心臓が凍りそうになった。
でも、ちゃんと見ると、女性じゃない、ニューハーフさんだということがすぐにわかる。
うわぁ、それ言っといてよ〜^^;
知っていたらフルネーム呼ばないよ〜。
わたし自身は、セクシャルマイノリティはまったく問題ないと思ってる。
むしろ頑張れと応援したい気分だ。
だけど、残念なことにまだ『日本の大人の社会』では、特にこういう形式ばった場所では、タブーはたくさんある。
名前を呼び前に出てもらう役割を、敢えて彼女にする必要はないと思うのが、いまの『日本の大人の社会』なのだ。
とても大切な友人で是非代表してサインをしてほしいというなら、せめて事前に知らせておいてくれ〜と、彼女の姿を見てから以降、『山田様、佐藤様ありがとうございました〜』とフルネームで呼ぶのをやめにしながら、忘れっぽい新郎新婦にちょっとトホホになっていた。
新郎は両親がいなくて里親が列席していた。
そのことも臆することなく披露して、その里親は新郎のヤンキー仲間とも仲良しだった。
佐藤一郎(仮)様のテーブルには、新婦の友人女性とそのお嬢ちゃんも一緒にいて女性4、5人で盛り上がっていた。
友人のお子さんの小さなお嬢ちゃんに『あ〜ん』と口を開けてアイスを食べさせてもらってる佐藤一郎(仮)様を見ながら。
あの小さな女の子は『男に生まれてきたけど、本当は女の子だった』という性があることを、きっとわたしたちより自然に受け入れることができるんじゃないかなと、なんだか嬉しくなってしまった。
こんなふうに少しずつでも、多種多様な生き方があるということをお勉強で知るのではなくて、それが当たり前に目の前にあって自然に身に付いていく、そんなふうになっていけばステキだな。
そのほうが、いまの日本の大人の社会よりも生きやすい気がする。
とても忘れっぽいヤンキーカップルだったけど。
もしかしたら、日本の大人の社会の物差しで計らない彼らにとっては『佐藤一郎(仮)さん』は特殊な人じゃなかったのかもしれない。
だから、わざわざ司会者に伝える必要がなかったのだとしたら。
なんだか、ちょっとステキじゃない!?と思ってしまう。
彼女が前に出た時も、披露宴で新婦のお父様にお酌されている時も、とても自然な空気が漂っていた。
一番不自然に慌ててしまたのは、わたしたちスタッフだったかもしれない。(キャプテンも驚いてた^^;)
わたしも『日本の大人の社会』が物差しなんだな〜と思うと、なんだかちょっと恥ずかしかった。
常識は大切だけど、それで生きにくい人がいるなら、そんな枠のない世界が少しずつ広がっていくのも悪くない。
もしかしたら、常識がないと言われている中からそういう価値観が生まれているとしたら。
話聞いてなかったり忘れっぽくても。
子供っぽい紙人形を席札にしてしまっても。
挙式の友人代表をニューハーフにしてしまっても。
実家が幹線道路が近くにあったから土曜日の夜は暴走族の音がうるさくてかなり迷惑だったけど。
でも、
なんだか、ヤンキー万歳だ^^
いろいろな人から『祝福の種』を見つけることが、わたしの仕事の大事なところで、とても幸福なところだと思う。
そういう仕事に就けていることに感謝しながら。
今日も精一杯の祝福を。
心から幸せを祝って、一生懸命働いた後のお酒はきっとおいしいはずだもの^^
エゴマゾでいこう
りん子的独り言(生意気)
エゴマゾって言葉が不思議。
辞書に載っていないから本当の意味は知らないのだけど。
自分の要求だけを通そうとするマゾのことなんだよね。
たしかにね、一人で成立するものじゃないので、お互い話し合い擦り合せ、求めるものを一致させたり譲歩したりが必要だから、自分の要求だけを通そうとするのはよくないと思う。
時々S女さんのところで『してしてオンリー君』みたいな話を拝見すると、それは商業ベースとしては成り立つかもしれないけど、互いの性癖を軸にするにはお付き合いしたくないな〜とは思う。
何かしらのあだ名をつけられて揶揄されてもしかたない、と納得もする。
それとは別に。
一般論として(?)
なぜ?
マゾが要求を通そうとするとエゴがつくの?
サディストがしたいことをするとエゴにならないの?
だって、そもそも『被虐願望』って『願望』がある時点で、それはエゴなんだから自分の要求を通そうとする気持ちがあって当たり前なんじゃないかな。
だから、すべてのマゾはエゴマゾじゃないの?
サディストだって、エゴサドだよね。
なんでマゾだけエゴになっちゃうんだろ。
そこに、マゾと奴隷(従者)が混同されている印象を受ける。
あまり賛成できないけど、奴隷や従者は従うべきで意見も言えないというのが前提であれば、自分の要求だけを通そうとしたらエゴと言われても、まあ仕方ないかもしれないとしたら。
(それだって、奴隷願望従者願望があるのだから『エゴ(自我)』なんだけどね)
そこにマゾ=奴隷(従者)という認識で、マゾが要求を通そうとして『エゴ』と言われているんだろうなと思う。
だから、マゾ(M女)は従うものっていう暗黙の了解になっているのだよね。
で、わたしはどうしても、マゾと奴隷(従者)と一緒に考えることに違和感を感じるんだ。
たかが名称の問題なんだけど、けっこうこれで疑問を感じている人多いんじゃないかな。
まあ、ちょっとこの混同は置いといて^^;
そもそもエゴじゃいけないの?
自分の願望を叶えるために要求を通してはいけないの?
そんなことないよね、エゴでいいよね。
しかも、本当は。
マゾも従者も奴隷も、エゴでいいと思うのだ。
もちろんサディストだって、ご主人様だって。
誰も傷つかない関係を作るには、むしろエゴ(自我)は必要な気がする。
まして、心も体も傷つく可能性が高い『される側』はきちんと自我を持っているべきだ。
それなのに『される側』にだけエゴってつけちゃうところが、不思議。
まあ、この場合の『エゴ』は、きっと要求を通すための手順をきちんと踏まずにいる精神的に大人じゃない人のことを指しているのでしょうから、いちいち言葉に疑問を持つこともないのでしょうけど。
精神的に大人になって、マゾもエゴを通したいものです^^
ちなみに、わたしは、要求を通して『やってもらって』も全然嬉しくないので、要求はしません。
健気な言い方をすれば、那智さんのしたいことをしてほしいから。
『那智さんのよいように』が、口癖です。
だって、そっちのほうが幸福なんだもの。
でも、してほしいことは存在しているわけで。
要求せずに伝わるように、そして、それがいつか那智さんのしたいことになるように、反応や目線、伝えられる手段をフル活用して、訴えたりして種を蒔いてます。
(いや、溢れちゃって勝手に伝わっているほうが多いか^^;)
で、ここにも書いて、種蒔いている(笑)
言葉にしないで要求を通そうとする…時間はかかるし、相手をよーく見ていなきゃ上手に伝えられない、頭も使うし素直でいないといけない。
那智さんも、それを感じ取る感性を研ぎすましている必要はあるし、気づいてもするタイミングをコントロールしたりと、それはそれで、とても大変だと思う。
とても手間のかかること。
だけど、那智さんの『したいこと』とわたしの『してほしいこと』が、無言のうちに合致したときの喜びは、とてもとても大きいのだ。
それが数年単位の時間がかかったとしても。
自分の要求を押し込んで、相手の言いなりになるよりも。
『して』と自分の要求だけを通すよりも。
ずっとずっと喜びは大きい。
多分、よい反応をするわたしを見て、那智さんだって楽しいはずだ。
そのためにも、わたしはちゃんとエゴでいたいと思うのだ。
あ、エゴじゃないか、隠れエゴだね。
じゃあ、わたしは『隠れエゴマゾ』でいこうと思う^^
エゴマゾって言葉が不思議。
辞書に載っていないから本当の意味は知らないのだけど。
自分の要求だけを通そうとするマゾのことなんだよね。
たしかにね、一人で成立するものじゃないので、お互い話し合い擦り合せ、求めるものを一致させたり譲歩したりが必要だから、自分の要求だけを通そうとするのはよくないと思う。
時々S女さんのところで『してしてオンリー君』みたいな話を拝見すると、それは商業ベースとしては成り立つかもしれないけど、互いの性癖を軸にするにはお付き合いしたくないな〜とは思う。
何かしらのあだ名をつけられて揶揄されてもしかたない、と納得もする。
それとは別に。
一般論として(?)
なぜ?
マゾが要求を通そうとするとエゴがつくの?
サディストがしたいことをするとエゴにならないの?
だって、そもそも『被虐願望』って『願望』がある時点で、それはエゴなんだから自分の要求を通そうとする気持ちがあって当たり前なんじゃないかな。
だから、すべてのマゾはエゴマゾじゃないの?
サディストだって、エゴサドだよね。
なんでマゾだけエゴになっちゃうんだろ。
そこに、マゾと奴隷(従者)が混同されている印象を受ける。
あまり賛成できないけど、奴隷や従者は従うべきで意見も言えないというのが前提であれば、自分の要求だけを通そうとしたらエゴと言われても、まあ仕方ないかもしれないとしたら。
(それだって、奴隷願望従者願望があるのだから『エゴ(自我)』なんだけどね)
そこにマゾ=奴隷(従者)という認識で、マゾが要求を通そうとして『エゴ』と言われているんだろうなと思う。
だから、マゾ(M女)は従うものっていう暗黙の了解になっているのだよね。
で、わたしはどうしても、マゾと奴隷(従者)と一緒に考えることに違和感を感じるんだ。
たかが名称の問題なんだけど、けっこうこれで疑問を感じている人多いんじゃないかな。
まあ、ちょっとこの混同は置いといて^^;
そもそもエゴじゃいけないの?
自分の願望を叶えるために要求を通してはいけないの?
そんなことないよね、エゴでいいよね。
しかも、本当は。
マゾも従者も奴隷も、エゴでいいと思うのだ。
もちろんサディストだって、ご主人様だって。
誰も傷つかない関係を作るには、むしろエゴ(自我)は必要な気がする。
まして、心も体も傷つく可能性が高い『される側』はきちんと自我を持っているべきだ。
それなのに『される側』にだけエゴってつけちゃうところが、不思議。
まあ、この場合の『エゴ』は、きっと要求を通すための手順をきちんと踏まずにいる精神的に大人じゃない人のことを指しているのでしょうから、いちいち言葉に疑問を持つこともないのでしょうけど。
精神的に大人になって、マゾもエゴを通したいものです^^
ちなみに、わたしは、要求を通して『やってもらって』も全然嬉しくないので、要求はしません。
健気な言い方をすれば、那智さんのしたいことをしてほしいから。
『那智さんのよいように』が、口癖です。
だって、そっちのほうが幸福なんだもの。
でも、してほしいことは存在しているわけで。
要求せずに伝わるように、そして、それがいつか那智さんのしたいことになるように、反応や目線、伝えられる手段をフル活用して、訴えたりして種を蒔いてます。
(いや、溢れちゃって勝手に伝わっているほうが多いか^^;)
で、ここにも書いて、種蒔いている(笑)
言葉にしないで要求を通そうとする…時間はかかるし、相手をよーく見ていなきゃ上手に伝えられない、頭も使うし素直でいないといけない。
那智さんも、それを感じ取る感性を研ぎすましている必要はあるし、気づいてもするタイミングをコントロールしたりと、それはそれで、とても大変だと思う。
とても手間のかかること。
だけど、那智さんの『したいこと』とわたしの『してほしいこと』が、無言のうちに合致したときの喜びは、とてもとても大きいのだ。
それが数年単位の時間がかかったとしても。
自分の要求を押し込んで、相手の言いなりになるよりも。
『して』と自分の要求だけを通すよりも。
ずっとずっと喜びは大きい。
多分、よい反応をするわたしを見て、那智さんだって楽しいはずだ。
そのためにも、わたしはちゃんとエゴでいたいと思うのだ。
あ、エゴじゃないか、隠れエゴだね。
じゃあ、わたしは『隠れエゴマゾ』でいこうと思う^^
ピッツァ・マルゲリータ
りんりん変態ご飯
食べることが大好き。
特別グルメではないので話題のお店を知っていたり、こだわりの食材を楽しむなんてことはないのだけど。
食べたい物が食べたい^^
ということで、作ってみました。
ピザ。
ピザの正解があるかどうか知らないけど。
わたしはピザは、薄ければ薄いほど『ピザ』だと思ってる。
でもって、シンプルならシンプルなほど『ピザ』だとも思ってる。
だから、宅配のピザでパンみたいな生地にこれでもかってほど具が乗っているものは、わたしの思う『ピザ』じゃないのだ。
もちろん、それはそれでおいしいから大好きだけどね。
『ピザ』といえば、薄っぺらいカリカリの生地にトマトソースとチーズ、以上!!なのだ。
せいぜい、これにフレッシュバジル。
要するに、ピッツァ・マルゲリータだね。
おいしいピッツァ・マルゲリータを食べることができるイタ飯屋は確保できているのだけど。
もーっと限界にカリカリを求めてしまって、それじゃあ作ってみようと思ったのです。
ネットで調べてみたら、ホットプレートでもできることがわかって俄然やる気に。
(ホットプレートで焼くのは『ピザ』じゃないって、この時点すでにダメだし?^^;)
いろいろなHPやブログを見ていると、レシピも様々。
その中から、自分ができそうなものをチョイスして組み立ててオリジナルのレシピを作るのだ。
例えば、強力粉と薄力粉をブレンドしているところと強力粉だけを使っているところがあるけど、そんなの単一のほうがラク、だから、強力粉オンリーで。
ドライイーストを入れて発酵させるのは面倒。
そもそもカリカリにさせたいのだから、膨らまさないでいいのだもの。
探せば、ドライイーストなしでやってる人もいる。
よしよし、なしでもイケるのだね。
でも、拘るところは、拘る。
ひとつは、チーズ。
普通のピザ用チーズとモッツァレラチーズを半分ずつ。
日本人向けピッツァ・マルゲリータは多分そんな感じらしい(笑)
もうひとつ。
トマトソースは手作りにする。
多分、市販のソースよりも味は薄いと思うけど、トマトの味はこちらのほうが楽しめるはずなんだ。
ニンニクと玉ねぎをオリーブオイルで炒めた物の中にトマトの水煮缶と完熟トマトのざく切りを入れて塩と砂糖で味を整えながらひたすら煮る。
潰しながら煮てある程度水分が飛んだらできあがり。
これは簡単なんだけど、とても美味しい。
そんな風に、自分の労力と拘りのよいバランスを見つけるのだ。
無理しないで、でも、食べたいものを食べたい^^
なきゃ、作る!!
う〜ん、これはやはり料理好きではなく、食べるの好きということなんだろう^^;
材料とレシピを揃えたら。
こんなに少ない水分でまとまるの?ってほどポソポソの生地を捏ねていく。
ちょっと力はいるけれど、これがまとまるんだな。
ラップに包んで10分ほどなじませる(これは発酵とは違うのですよ)
適当な分量を丸め、目的の薄さまで伸ばしていくのだ。
菜箸で!!
そうなの、綿棒ってやつが我が家になかったのだ。
でも、手で伸ばすには限界がある。
丸い棒状の物…ってことで菜箸。(菜箸で広げる、更にダメだし^^;)
ちょっと手のひらがゴロゴロと痛いけど、これが思いのほか薄く伸ばせるのだ。
2回目以降は綿棒を買ってみたけど、菜箸のほうが薄くできるので、結局ずっと菜箸で伸ばしてる^^;
難点は、薄く伸ばせるけど、形はめちゃくちゃ。
『全国都道府県』、広島県や北海道みたいになっちゃう^^;
で、うすーく伸ばした北海道……いや、生地をオリーブオイルを敷いたホットプレートの上に置き、まず片面を焼く。
いい感じになったらひっくり返して焼き色のついた表面に自慢のトマトソースを塗って、ピザ用チーズとモッツァレラチーズを半々、ゴソゴソッと。
蓋をして数分(けっこうすぐ)
チーズが溶けたらできあがり〜。
所々焦げ目のついてるきつね色の生地に、朱色のトマトソース。
黄色と白の2色のチーズが溶けてキレイな模様を作っている。
おいしそうな、福島県!!
フライ返し(!)で大皿に移し、ピザカッターで8等分。
(ピザカッター、ピザを切る円状の刃がついた、あれね。なぜかそんなものはある)
口に運んだそれは、求めていたカリカリ感。
そうそう、これこれ〜。
トマトソースとチーズの相性もバツグン♪
お好みでフレッシュバジルや生ハムを乗せてもGOODです。
すごくおいしい。
薄いからいくらでも入ると錯覚を起こし(笑)
最後には、もう見たくないというほど食べてしまった^^;
大満足。
レシピはラクなところ取り。
道具も全然揃ってない。
第一菜箸で伸ばしてホットプレートで焼くなんて、邪道だらけ。
だけど、ほしいと思って、無理せずと拘りのラインを決めて、それを両立させると満足に繋がるのだ。
欲しい物があったら、わたしは『無理せず、でも拘りは諦めず』というのを基準にしている。
そのラインを自分で決めることが肝心。
お気に入りの方法を自分で作るのだ。
なんて、堅苦しいこと言ってないで^^;
なにより、食べたーいと思った物が、目の前でできていくのを固唾を飲んで待ち、そのできたてをすぐ食べられるというのが、とても贅沢。
とってもおいしかった〜。
画像があったほうが臨場感出るかと思うけど、食べるのに一生懸命で忘れてた。
まあ、撮っても『都道府県』なので、かえって『おいしい』という言葉に説得力なくなってしまったかも(笑)
ホットプレートで簡単にできますよ^^
おすすめです。
レシピは自分のラクなのを選んでね〜♪
と、お料理ブログじゃないから、オリジナルレシピ載せる労力は使わない^^
食べることが大好き。
特別グルメではないので話題のお店を知っていたり、こだわりの食材を楽しむなんてことはないのだけど。
食べたい物が食べたい^^
ということで、作ってみました。
ピザ。
ピザの正解があるかどうか知らないけど。
わたしはピザは、薄ければ薄いほど『ピザ』だと思ってる。
でもって、シンプルならシンプルなほど『ピザ』だとも思ってる。
だから、宅配のピザでパンみたいな生地にこれでもかってほど具が乗っているものは、わたしの思う『ピザ』じゃないのだ。
もちろん、それはそれでおいしいから大好きだけどね。
『ピザ』といえば、薄っぺらいカリカリの生地にトマトソースとチーズ、以上!!なのだ。
せいぜい、これにフレッシュバジル。
要するに、ピッツァ・マルゲリータだね。
おいしいピッツァ・マルゲリータを食べることができるイタ飯屋は確保できているのだけど。
もーっと限界にカリカリを求めてしまって、それじゃあ作ってみようと思ったのです。
ネットで調べてみたら、ホットプレートでもできることがわかって俄然やる気に。
(ホットプレートで焼くのは『ピザ』じゃないって、この時点すでにダメだし?^^;)
いろいろなHPやブログを見ていると、レシピも様々。
その中から、自分ができそうなものをチョイスして組み立ててオリジナルのレシピを作るのだ。
例えば、強力粉と薄力粉をブレンドしているところと強力粉だけを使っているところがあるけど、そんなの単一のほうがラク、だから、強力粉オンリーで。
ドライイーストを入れて発酵させるのは面倒。
そもそもカリカリにさせたいのだから、膨らまさないでいいのだもの。
探せば、ドライイーストなしでやってる人もいる。
よしよし、なしでもイケるのだね。
でも、拘るところは、拘る。
ひとつは、チーズ。
普通のピザ用チーズとモッツァレラチーズを半分ずつ。
日本人向けピッツァ・マルゲリータは多分そんな感じらしい(笑)
もうひとつ。
トマトソースは手作りにする。
多分、市販のソースよりも味は薄いと思うけど、トマトの味はこちらのほうが楽しめるはずなんだ。
ニンニクと玉ねぎをオリーブオイルで炒めた物の中にトマトの水煮缶と完熟トマトのざく切りを入れて塩と砂糖で味を整えながらひたすら煮る。
潰しながら煮てある程度水分が飛んだらできあがり。
これは簡単なんだけど、とても美味しい。
そんな風に、自分の労力と拘りのよいバランスを見つけるのだ。
無理しないで、でも、食べたいものを食べたい^^
なきゃ、作る!!
う〜ん、これはやはり料理好きではなく、食べるの好きということなんだろう^^;
材料とレシピを揃えたら。
こんなに少ない水分でまとまるの?ってほどポソポソの生地を捏ねていく。
ちょっと力はいるけれど、これがまとまるんだな。
ラップに包んで10分ほどなじませる(これは発酵とは違うのですよ)
適当な分量を丸め、目的の薄さまで伸ばしていくのだ。
菜箸で!!
そうなの、綿棒ってやつが我が家になかったのだ。
でも、手で伸ばすには限界がある。
丸い棒状の物…ってことで菜箸。(菜箸で広げる、更にダメだし^^;)
ちょっと手のひらがゴロゴロと痛いけど、これが思いのほか薄く伸ばせるのだ。
2回目以降は綿棒を買ってみたけど、菜箸のほうが薄くできるので、結局ずっと菜箸で伸ばしてる^^;
難点は、薄く伸ばせるけど、形はめちゃくちゃ。
『全国都道府県』、広島県や北海道みたいになっちゃう^^;
で、うすーく伸ばした北海道……いや、生地をオリーブオイルを敷いたホットプレートの上に置き、まず片面を焼く。
いい感じになったらひっくり返して焼き色のついた表面に自慢のトマトソースを塗って、ピザ用チーズとモッツァレラチーズを半々、ゴソゴソッと。
蓋をして数分(けっこうすぐ)
チーズが溶けたらできあがり〜。
所々焦げ目のついてるきつね色の生地に、朱色のトマトソース。
黄色と白の2色のチーズが溶けてキレイな模様を作っている。
おいしそうな、福島県!!
フライ返し(!)で大皿に移し、ピザカッターで8等分。
(ピザカッター、ピザを切る円状の刃がついた、あれね。なぜかそんなものはある)
口に運んだそれは、求めていたカリカリ感。
そうそう、これこれ〜。
トマトソースとチーズの相性もバツグン♪
お好みでフレッシュバジルや生ハムを乗せてもGOODです。
すごくおいしい。
薄いからいくらでも入ると錯覚を起こし(笑)
最後には、もう見たくないというほど食べてしまった^^;
大満足。
レシピはラクなところ取り。
道具も全然揃ってない。
第一菜箸で伸ばしてホットプレートで焼くなんて、邪道だらけ。
だけど、ほしいと思って、無理せずと拘りのラインを決めて、それを両立させると満足に繋がるのだ。
欲しい物があったら、わたしは『無理せず、でも拘りは諦めず』というのを基準にしている。
そのラインを自分で決めることが肝心。
お気に入りの方法を自分で作るのだ。
なんて、堅苦しいこと言ってないで^^;
なにより、食べたーいと思った物が、目の前でできていくのを固唾を飲んで待ち、そのできたてをすぐ食べられるというのが、とても贅沢。
とってもおいしかった〜。
画像があったほうが臨場感出るかと思うけど、食べるのに一生懸命で忘れてた。
まあ、撮っても『都道府県』なので、かえって『おいしい』という言葉に説得力なくなってしまったかも(笑)
ホットプレートで簡単にできますよ^^
おすすめです。
レシピは自分のラクなのを選んでね〜♪
と、お料理ブログじゃないから、オリジナルレシピ載せる労力は使わない^^
秘すれば花?
独特な幸福感
『エゴマゾでいこう』で、那智さんの『したいこと』とわたしの『してほしいこと』が無言のうちに一致したときの喜びは大きいと書いた。
そのためにも『隠れエゴマゾ』でいよ〜って。
だから、密かに目線や反応、ブログなどなどで種蒔いてアピールしている。
だけど、それは。
無言で。
『隠れ』で。
密かに。
アピールだから、喜びが大きいのだ。
というのを、身を以て体験した失敗例(笑)
デートのとき。
ランチどうする?それともお昼を抜いて早めに一杯飲みながらなにか食べる?
そんなふうに、あれこれ計画を立てるのは楽しい。
最近、ちょっと流行っているのが、おつまみを買い込んでホテルで一杯(いや、2杯?3杯?)。
この日も、『いろいろ』のあと、ピロートークしながらそのパターンにしようと決まった。
でも、肝心のおつまみと飲み物を買わずにチェックインしていたので、買い出しに出ることになった。
「りん子、疲れていそうだから、俺だけいって来るよ?」
うわぁ、なんだか魅惑のお申し出。
ほんと、マメに動く人だ^^;
思わず甘えてしまいそうになるけれど、一緒におつまみを選ぶほうが楽しいだろうな〜と想像して、わたしもついて行くことにする。
(いえ、わたしが行ってきますよ!!とはならない^^;だって、ひとりでホテルの出入りしたくないもの)
「そう、じゃあ、一緒に行こう」
「那智さんとお買い物、楽しそうだから♪」
「ふ〜ん、ノーパンで行こうか?股縄してもいいかもね」
ひえ〜!!
那智さんは、M女の定番(?)ノーパンを普段ほとんど指示しないのだ。
だから、逆に、いちいち『ひえ〜』になる^^;
外で四つん這いになったりするくせに、なんだかウブな領域が残っているのだ。
(ちなみに、SM系の動画?AV?もほとんど見せてもらったことがないので、そこもウブです^^)
ひえ〜っとなりながらも、那智さんがわたしの『したい』と思ってくれることは、嬉しいし。
『羞恥系』のわたしは、きっとそれで感じるだろうから『してほしい』ことに入っているはずだ。
普段ほとんどノーパンをしていないから、こんなことでも『したいことと、してほしいことの一致』があるのだとしたら、なんだかお手軽(笑)
お風呂に入って、リフレッシュして、支度をして、一緒に買い出し。
なんだか、買い出しという展開に、わくわくしていい気分。
エレベーターに乗り階下へ。
扉が閉まる。
2人きり。
「あ、ノーパン、忘れてた」
那智さんが笑う。
いい気分で、しかも若干してほしかったわたしは。
「そーですよ〜、するって言ってしないんですも〜ん」
と、調子に乗って、『してほしかった』ことを積極的にアピールしてみる。
「じゃあ、しないとね〜」
言葉と同時に手が伸びて。
ワンピースの裾を一気にたくし上げられて、あっという間に下着を脱がされてしまった。
いや、抵抗しようと思えば頑として足を上げなきゃいいのだけど。
那智さんがしてくれることににきゃあきゃあなわたしは、若干抵抗しながらもこの展開を喜んでしまっていた。
これから、那智さんと一緒にお買い物。
おつもみをあれこれ選ぶ楽しさと、こっそりノーパンのヒヤヒヤで、きっと楽しい時間になるはず。
わたしの中の変態さんが『ふふ、アピールした甲斐があったわ♪』ってほくそ笑む。
エレベーターを降り、ホテルのフロントへ。
このホテルはいわゆるラブホなんだけど、普通のホテルのようにフロントがむき出しのカウンターになっている。
よくあるラブホの壁に空いた穴から手が出てくるようなものじゃないのだ。
だから、エレベーターを降りたら従業員がいる。(というか、エレベーターが開いたら出てくるという感じ)
フロントに向かう通路。
先にエレベーターを出た那智さんがそのまま前を歩く、その後とウキウキついて行く。
那智さんの手が動いた、気がした。
それと同時に、視界の隅に白い塊が。
ん?
通路に?
白い?
塊?
くしゃくしゃになった?
レースの?
わたしのパンツだ〜〜〜〜〜!!!
ぎゃーーーー、慌てて拾う。
にやっとして振り返る那智さん。
あわあわと手のひらで小さくまとめるけど、わたしのワンピースにはポケットがない^^;
このまま手のひらで包んだまま買い出しなんてできない。
ひゃあ、ひゃあなっているわたしの手から、塊を奪い、スーツのズボンの左ポケットへ。
ああ、人質ならぬもの質…。
フロントにキーを預けているときも、ホテル出るときも、道を歩いているときも。
那智さんの左側に張り付いて、ズボンのポケットに片手をつっこんでいる那智さんから目を逸らすことができない。
ほんとは、手が出せないように『ガシッ』と押さえていたいけど、そんな抵抗をしようものなら、どんな酷い仕打ちが待っているかわからない。
腕を組んで誤摩化したいけど、それも抵抗に取られかねないから、やめる。
ただ那智さんの一挙手一投足をじっと見つめるだけ。
左手動くな、動くな〜って。
那智さんの左側から離れられない。
わたしは、誰にも気づかれず、とても不自由になる。
すでに、自分がノーパンかどうかなんて気にしちゃいない(笑)
見えないノーパンより、晒される下着のほうが、一大事だ。
コンビニに入ると少し空気が変わって、2人してお買い物モード。
お酒はこれ。
おつまみは、那智さん、これもいいですか?
互いの好みに違いや、中間地点の擦り合わせが楽しい。
一緒にお買い物ってだけで、テンションが上がっちゃう^^
あ、あっちのサラダコーナー野菜スティックがある^^
ふと、それに目が行き、那智さんの左側から離れる。
「那智さん、これいかがです…」
言い切らないうちに。
「むこうに白い物が落ちてるよ。」
と棚の先を指差す。
ひえ〜〜〜っ!!
さっきの白いくしゃくしゃの塊の映像がリアルに蘇る。
慌てて、棚の裏側に。
な、ない!?
「うそ〜」
那智さんの左手はポケットの中。
ああ、これがわたしたちのじゃれ合い…。
命がけのじゃれ合いだ^^;
『してほしいこと』を口にして、叶えてもらっても嬉しくない。
それより、密かに種を蒔いてアピールをして、お互い口にせずに『してほしいこと』と『したいこと』が一致した喜びは大きい。
どんなに時間がかかっても。
だから、口にしないほうがいいんだ。
それは、喜びが大きくなるからという理由はもちろんなんだけど。
『してほしいこと』を積極的に短絡的にアピールすると、わたしたちの場合、命がけのじゃれ合いっこに発展してしまうから^^;
那智さんは、そういう人。
わかってるんだけど、時々、アピールしたくなっちゃう。
で、これが失敗例。
アピールは。
無言で。
『隠れ』で。
密かに。
がいいらしい。
やっぱりわたしは『隠れエゴマゾ』でいます^^;
『エゴマゾでいこう』で、那智さんの『したいこと』とわたしの『してほしいこと』が無言のうちに一致したときの喜びは大きいと書いた。
そのためにも『隠れエゴマゾ』でいよ〜って。
だから、密かに目線や反応、ブログなどなどで種蒔いてアピールしている。
だけど、それは。
無言で。
『隠れ』で。
密かに。
アピールだから、喜びが大きいのだ。
というのを、身を以て体験した失敗例(笑)
デートのとき。
ランチどうする?それともお昼を抜いて早めに一杯飲みながらなにか食べる?
そんなふうに、あれこれ計画を立てるのは楽しい。
最近、ちょっと流行っているのが、おつまみを買い込んでホテルで一杯(いや、2杯?3杯?)。
この日も、『いろいろ』のあと、ピロートークしながらそのパターンにしようと決まった。
でも、肝心のおつまみと飲み物を買わずにチェックインしていたので、買い出しに出ることになった。
「りん子、疲れていそうだから、俺だけいって来るよ?」
うわぁ、なんだか魅惑のお申し出。
ほんと、マメに動く人だ^^;
思わず甘えてしまいそうになるけれど、一緒におつまみを選ぶほうが楽しいだろうな〜と想像して、わたしもついて行くことにする。
(いえ、わたしが行ってきますよ!!とはならない^^;だって、ひとりでホテルの出入りしたくないもの)
「そう、じゃあ、一緒に行こう」
「那智さんとお買い物、楽しそうだから♪」
「ふ〜ん、ノーパンで行こうか?股縄してもいいかもね」
ひえ〜!!
那智さんは、M女の定番(?)ノーパンを普段ほとんど指示しないのだ。
だから、逆に、いちいち『ひえ〜』になる^^;
外で四つん這いになったりするくせに、なんだかウブな領域が残っているのだ。
(ちなみに、SM系の動画?AV?もほとんど見せてもらったことがないので、そこもウブです^^)
ひえ〜っとなりながらも、那智さんがわたしの『したい』と思ってくれることは、嬉しいし。
『羞恥系』のわたしは、きっとそれで感じるだろうから『してほしい』ことに入っているはずだ。
普段ほとんどノーパンをしていないから、こんなことでも『したいことと、してほしいことの一致』があるのだとしたら、なんだかお手軽(笑)
お風呂に入って、リフレッシュして、支度をして、一緒に買い出し。
なんだか、買い出しという展開に、わくわくしていい気分。
エレベーターに乗り階下へ。
扉が閉まる。
2人きり。
「あ、ノーパン、忘れてた」
那智さんが笑う。
いい気分で、しかも若干してほしかったわたしは。
「そーですよ〜、するって言ってしないんですも〜ん」
と、調子に乗って、『してほしかった』ことを積極的にアピールしてみる。
「じゃあ、しないとね〜」
言葉と同時に手が伸びて。
ワンピースの裾を一気にたくし上げられて、あっという間に下着を脱がされてしまった。
いや、抵抗しようと思えば頑として足を上げなきゃいいのだけど。
那智さんがしてくれることににきゃあきゃあなわたしは、若干抵抗しながらもこの展開を喜んでしまっていた。
これから、那智さんと一緒にお買い物。
おつもみをあれこれ選ぶ楽しさと、こっそりノーパンのヒヤヒヤで、きっと楽しい時間になるはず。
わたしの中の変態さんが『ふふ、アピールした甲斐があったわ♪』ってほくそ笑む。
エレベーターを降り、ホテルのフロントへ。
このホテルはいわゆるラブホなんだけど、普通のホテルのようにフロントがむき出しのカウンターになっている。
よくあるラブホの壁に空いた穴から手が出てくるようなものじゃないのだ。
だから、エレベーターを降りたら従業員がいる。(というか、エレベーターが開いたら出てくるという感じ)
フロントに向かう通路。
先にエレベーターを出た那智さんがそのまま前を歩く、その後とウキウキついて行く。
那智さんの手が動いた、気がした。
それと同時に、視界の隅に白い塊が。
ん?
通路に?
白い?
塊?
くしゃくしゃになった?
レースの?
わたしのパンツだ〜〜〜〜〜!!!
ぎゃーーーー、慌てて拾う。
にやっとして振り返る那智さん。
あわあわと手のひらで小さくまとめるけど、わたしのワンピースにはポケットがない^^;
このまま手のひらで包んだまま買い出しなんてできない。
ひゃあ、ひゃあなっているわたしの手から、塊を奪い、スーツのズボンの左ポケットへ。
ああ、人質ならぬもの質…。
フロントにキーを預けているときも、ホテル出るときも、道を歩いているときも。
那智さんの左側に張り付いて、ズボンのポケットに片手をつっこんでいる那智さんから目を逸らすことができない。
ほんとは、手が出せないように『ガシッ』と押さえていたいけど、そんな抵抗をしようものなら、どんな酷い仕打ちが待っているかわからない。
腕を組んで誤摩化したいけど、それも抵抗に取られかねないから、やめる。
ただ那智さんの一挙手一投足をじっと見つめるだけ。
左手動くな、動くな〜って。
那智さんの左側から離れられない。
わたしは、誰にも気づかれず、とても不自由になる。
すでに、自分がノーパンかどうかなんて気にしちゃいない(笑)
見えないノーパンより、晒される下着のほうが、一大事だ。
コンビニに入ると少し空気が変わって、2人してお買い物モード。
お酒はこれ。
おつまみは、那智さん、これもいいですか?
互いの好みに違いや、中間地点の擦り合わせが楽しい。
一緒にお買い物ってだけで、テンションが上がっちゃう^^
あ、あっちのサラダコーナー野菜スティックがある^^
ふと、それに目が行き、那智さんの左側から離れる。
「那智さん、これいかがです…」
言い切らないうちに。
「むこうに白い物が落ちてるよ。」
と棚の先を指差す。
ひえ〜〜〜っ!!
さっきの白いくしゃくしゃの塊の映像がリアルに蘇る。
慌てて、棚の裏側に。
な、ない!?
「うそ〜」
那智さんの左手はポケットの中。
ああ、これがわたしたちのじゃれ合い…。
命がけのじゃれ合いだ^^;
『してほしいこと』を口にして、叶えてもらっても嬉しくない。
それより、密かに種を蒔いてアピールをして、お互い口にせずに『してほしいこと』と『したいこと』が一致した喜びは大きい。
どんなに時間がかかっても。
だから、口にしないほうがいいんだ。
それは、喜びが大きくなるからという理由はもちろんなんだけど。
『してほしいこと』を積極的に短絡的にアピールすると、わたしたちの場合、命がけのじゃれ合いっこに発展してしまうから^^;
那智さんは、そういう人。
わかってるんだけど、時々、アピールしたくなっちゃう。
で、これが失敗例。
アピールは。
無言で。
『隠れ』で。
密かに。
がいいらしい。
やっぱりわたしは『隠れエゴマゾ』でいます^^;
あなたに合う鍵
りん子的独り言(生意気)
わたしが心底幸福を感じられず、特に恋愛に於いて不幸な思いを繰り返していた理由をなんとか突き止めたくて、いくつか本を読んで、自分の心と向き合ってきた。
そこで現象を振り返り、感じたことを整理して、わたしなりの『カラクリ』のようなものを見つけて、ここでいくつか披露している。
もともと心の病に興味があってそれに関する本を読んでいて、さらに岩月謙司さんの本に出会って、パズルのピースがはまるように、『カラクリ』を見つけることができたのだ。
まあ、そんな大げさなことじゃないのだけど、『あ〜、こういうことだったんだ〜』みたいな感じね。
ただ、その手の本を読み漁ったかというと、まったくそんなことはなくて、実は心の病に興味があったといっても学術的な物はほとんど読まず『ビリーミリガン』や『症例A』などの読み物を楽しんでいた程度なのだ。
『漁った』と言えるのは、岩月謙司さんくらい。
だから、わたしがここで書いていることは、いろいろな欠片を組み合わせて、わたしの感覚で書いている。
だから、これから書くことは学術的にはもちろん、一般的な知識からも外れているかもしれないので、りん子的解釈としてお読みくださいね。
で、いくつか読んだ『その手』の本の中で、手に取ろうとして、結局読まずにいた種類の物がある。
それは『アダルトチルドレン』。
これを書くにあたってネットでざっと調べてみたけど、ちょっと認識が違ってました^^;
当時は、詳しく知る前にイメージだけで『こんな感じ?』と思って読まなかったのです。
そのイメージというのはね。
アダルトチルドレンの人は、子供の頃家族の機能不全によって、子供のはずなのに大人の役割を引き受けなくてはならなくて(このへんはあってる?)。
ずっと、良い子で頑張っていなくてはならなかった子。
それが元で『良い子でいなければ、愛されない』と植え付けられて苦しんでいる人。
そんな感じだった。
わたしが心底幸福を感じられないのはなぜだろうともがいていたとき。
そのイメージだけ捉えて、手に取ることがなかったんだ。
『それは、わたしとは違う』って。
人は、誰でも無条件で愛してほしいし、全面的に肯定してほしい。
基本は共通していると思うのだけど。
育った環境や人間関係などで、それを感じらず苦しんでいるとして。
不自由を感じているとして。
その基本を感じさせてもらう方法が、きっとわたしは『良い子でいなければ、愛されない』ではないだろうと思ったのだ。
『どーやっても、愛されない』=『愛される価値がない』だったから^^;
当時、こんなに整理できていたわけじゃないけど、『良い子でいなければ、愛されない』に違うなと漠然と思ってたんだ。
想像なんだけど。
周りの環境のために『頑張って良い子でいなければいけなかった』子、そして、実際頑張ってきた人が、『良い子でいなければ、愛されない』という呪縛を抱えているとしたら。
多分、こう感じさせてほしいんじゃないかな。
あなたは良い子じゃなくていい。
良い子で頑張らなくても、あなたを愛している。
もしとても悪いことをしたとしても、変わらずに愛してる。
勝手な想像なんだけど、こんなふうにして、『愛されている、肯定されている』と感じられ、満たされるのではないかしら。
アダルトチルドレンとは少し違うかもしれないけど。
う〜ん。
『良い子症候群』とか言うのかな。(この言葉もかなりりん子的解釈です)
わたしは、違ったんだな。
ひと言でいうと。
『正当な評価』
これが、わたしの感じさせてほしいことだったんだ。
まあ、いつものように父親からの適正な愛情不足の話になっちゃうんだけど。
わたしが、どんなに頑張っても、どんなに良い子でいても、どうしたっておねえちゃんのようには褒めてもらえなかった(いや、実際、デキのよい子ではなかったけど^^;)
父にとって、わたしは評価の対象外だったのだ。(と感じられていた)
何をやっても。
『おまえはおねえちゃんみたいな優しいおねえちゃんがいてよかったな』だし。
美容院に行けば。
『おねえちゃんみたいな髪型にしないのか』だし。
良かろうが、悪かろうが、評価の対象ではなかったのだ。
唯一、父に褒めてもらったことがある、絵が上手ということも。
大人になってから『絵が上手いのはおねえちゃんだった』と記憶がねじ曲げられていたほどだ。
だから、わたしは正当に評価してほしかった。
『おまえは優しいね』
『その髪型よりも、前のほうが良かったな』
何もかも褒めてほしいというのではないのだ。
評価とは、努力や成果に対する値打ち。
わたしを見て、評価の対象にして、正当に評価してほしい。
わたしが捕われていたのは。
『無価値感』
なんとかして、自分に愛される価値があると父親にわかってもらいたくて必死になっていたことが、結局それをもらえずに植え付けられた『無価値感』が、その後のわたしの不自由になった原因のひとつだとう思うのだ。
だから、わたしが感じさせてもらいたい方法は。
あなたはよく頑張っているね、良い子だ。
あなたをちゃんと見ているよ。
ここは良くないから直そうね。
だけど、あなたを愛しているよ。
こんな言葉。
無条件に愛してほしい、全面的に肯定してほしい。
そして、はじめて自由に生きられる。
なにか不自由を感じていたとして、それをほしいと願ったとして。
原因はひとつではないだろうし、ひとつが解決すれば全部オッケイというものでもないだろう。
でも、きっと、その人に合った解決の糸口があるんだと思う。
その一例が。
『良い子じゃなくてもいい悪い子でも、頑張らなくても、愛してる』
『良い子だね、頑張ってるね、できなくても愛してる』
こんなふうに。
無条件の愛情を感じさせてほしい方法が『良い子症候群』と『無価値感』では、違うのだろうなと思うのです。
自分を解放するために閉ざしていた扉を開く鍵が、それぞれ違う様式なんだろうな。
カードキーと南京錠みたいに?
これ以外だって、たくさん鍵の種類はあるはず。
更に、個々に合う鍵が必要なので、結局自分の力で見つけないといけないのだけど。
同じ『愛されたい』『解放されたい』でも、方法が違うように感じられて、なんだか興味深い。
わたしの鍵は『正当な評価』だった。
どちらが良い悪いではなくて、客観視して。
自分の鍵はなんだろうって考えるのも、悪くないかなと思うのでした。
なんか、それっぽいもの拾ってみました〜。
おヒマなときに読んでみてね^^
『私について(父性とシスターコンプレックス1、2)』
『毛布』
『暗闇の安息』
『不安定の魅力』
『答えの出ていない仮説^^;』
わたしが心底幸福を感じられず、特に恋愛に於いて不幸な思いを繰り返していた理由をなんとか突き止めたくて、いくつか本を読んで、自分の心と向き合ってきた。
そこで現象を振り返り、感じたことを整理して、わたしなりの『カラクリ』のようなものを見つけて、ここでいくつか披露している。
もともと心の病に興味があってそれに関する本を読んでいて、さらに岩月謙司さんの本に出会って、パズルのピースがはまるように、『カラクリ』を見つけることができたのだ。
まあ、そんな大げさなことじゃないのだけど、『あ〜、こういうことだったんだ〜』みたいな感じね。
ただ、その手の本を読み漁ったかというと、まったくそんなことはなくて、実は心の病に興味があったといっても学術的な物はほとんど読まず『ビリーミリガン』や『症例A』などの読み物を楽しんでいた程度なのだ。
『漁った』と言えるのは、岩月謙司さんくらい。
だから、わたしがここで書いていることは、いろいろな欠片を組み合わせて、わたしの感覚で書いている。
だから、これから書くことは学術的にはもちろん、一般的な知識からも外れているかもしれないので、りん子的解釈としてお読みくださいね。
で、いくつか読んだ『その手』の本の中で、手に取ろうとして、結局読まずにいた種類の物がある。
それは『アダルトチルドレン』。
これを書くにあたってネットでざっと調べてみたけど、ちょっと認識が違ってました^^;
当時は、詳しく知る前にイメージだけで『こんな感じ?』と思って読まなかったのです。
そのイメージというのはね。
アダルトチルドレンの人は、子供の頃家族の機能不全によって、子供のはずなのに大人の役割を引き受けなくてはならなくて(このへんはあってる?)。
ずっと、良い子で頑張っていなくてはならなかった子。
それが元で『良い子でいなければ、愛されない』と植え付けられて苦しんでいる人。
そんな感じだった。
わたしが心底幸福を感じられないのはなぜだろうともがいていたとき。
そのイメージだけ捉えて、手に取ることがなかったんだ。
『それは、わたしとは違う』って。
人は、誰でも無条件で愛してほしいし、全面的に肯定してほしい。
基本は共通していると思うのだけど。
育った環境や人間関係などで、それを感じらず苦しんでいるとして。
不自由を感じているとして。
その基本を感じさせてもらう方法が、きっとわたしは『良い子でいなければ、愛されない』ではないだろうと思ったのだ。
『どーやっても、愛されない』=『愛される価値がない』だったから^^;
当時、こんなに整理できていたわけじゃないけど、『良い子でいなければ、愛されない』に違うなと漠然と思ってたんだ。
想像なんだけど。
周りの環境のために『頑張って良い子でいなければいけなかった』子、そして、実際頑張ってきた人が、『良い子でいなければ、愛されない』という呪縛を抱えているとしたら。
多分、こう感じさせてほしいんじゃないかな。
あなたは良い子じゃなくていい。
良い子で頑張らなくても、あなたを愛している。
もしとても悪いことをしたとしても、変わらずに愛してる。
勝手な想像なんだけど、こんなふうにして、『愛されている、肯定されている』と感じられ、満たされるのではないかしら。
アダルトチルドレンとは少し違うかもしれないけど。
う〜ん。
『良い子症候群』とか言うのかな。(この言葉もかなりりん子的解釈です)
わたしは、違ったんだな。
ひと言でいうと。
『正当な評価』
これが、わたしの感じさせてほしいことだったんだ。
まあ、いつものように父親からの適正な愛情不足の話になっちゃうんだけど。
わたしが、どんなに頑張っても、どんなに良い子でいても、どうしたっておねえちゃんのようには褒めてもらえなかった(いや、実際、デキのよい子ではなかったけど^^;)
父にとって、わたしは評価の対象外だったのだ。(と感じられていた)
何をやっても。
『おまえはおねえちゃんみたいな優しいおねえちゃんがいてよかったな』だし。
美容院に行けば。
『おねえちゃんみたいな髪型にしないのか』だし。
良かろうが、悪かろうが、評価の対象ではなかったのだ。
唯一、父に褒めてもらったことがある、絵が上手ということも。
大人になってから『絵が上手いのはおねえちゃんだった』と記憶がねじ曲げられていたほどだ。
だから、わたしは正当に評価してほしかった。
『おまえは優しいね』
『その髪型よりも、前のほうが良かったな』
何もかも褒めてほしいというのではないのだ。
評価とは、努力や成果に対する値打ち。
わたしを見て、評価の対象にして、正当に評価してほしい。
わたしが捕われていたのは。
『無価値感』
なんとかして、自分に愛される価値があると父親にわかってもらいたくて必死になっていたことが、結局それをもらえずに植え付けられた『無価値感』が、その後のわたしの不自由になった原因のひとつだとう思うのだ。
だから、わたしが感じさせてもらいたい方法は。
あなたはよく頑張っているね、良い子だ。
あなたをちゃんと見ているよ。
ここは良くないから直そうね。
だけど、あなたを愛しているよ。
こんな言葉。
無条件に愛してほしい、全面的に肯定してほしい。
そして、はじめて自由に生きられる。
なにか不自由を感じていたとして、それをほしいと願ったとして。
原因はひとつではないだろうし、ひとつが解決すれば全部オッケイというものでもないだろう。
でも、きっと、その人に合った解決の糸口があるんだと思う。
その一例が。
『良い子じゃなくてもいい悪い子でも、頑張らなくても、愛してる』
『良い子だね、頑張ってるね、できなくても愛してる』
こんなふうに。
無条件の愛情を感じさせてほしい方法が『良い子症候群』と『無価値感』では、違うのだろうなと思うのです。
自分を解放するために閉ざしていた扉を開く鍵が、それぞれ違う様式なんだろうな。
カードキーと南京錠みたいに?
これ以外だって、たくさん鍵の種類はあるはず。
更に、個々に合う鍵が必要なので、結局自分の力で見つけないといけないのだけど。
同じ『愛されたい』『解放されたい』でも、方法が違うように感じられて、なんだか興味深い。
わたしの鍵は『正当な評価』だった。
どちらが良い悪いではなくて、客観視して。
自分の鍵はなんだろうって考えるのも、悪くないかなと思うのでした。
なんか、それっぽいもの拾ってみました〜。
おヒマなときに読んでみてね^^
『私について(父性とシスターコンプレックス1、2)』
『毛布』
『暗闇の安息』
『不安定の魅力』
『答えの出ていない仮説^^;』
hotに3周年御礼
独り言
ブログをはじめて今日で丸3年。
なぜはじめて、どうして続けているのだろう。
アンテナに引っかかるたくさんの出来事や感情を吐き出したいという理由ではじめて、それを表に出すことで気持ちを整理し、自己主張の体験を積んでいる。
そして、那智さんのため。
そのあたりは『『あなたのために』はしない』『暗闇にならない『あなたのため』』『社会性』で書いた。
わたしのためで、那智さんのため。
わたしの主張や感性を楽しんでくださる方々のおかげで、とても居心地の良い場所を作ることができています。
そして、もうひとつ。
とても非力ではあるけれど、願いを込めて書いている。
ここ数ヶ月で、その願いを言葉で表せることができるようになったから、今日はそれを書いてみようと思う。
それは、卵の側にいたいということなんだ。
村上春樹さんのエルサレム賞でのスピーチご存知ですか?
わたし村上春樹さんの本はほとんど読まないのだけど、あのスピーチはとても好きなのです。
(「村上春樹 卵」とか「村上春樹 演説」とかで検索すると全文読めます)
イスラエルで行われた文学賞エルサレム賞の授賞式でのスピーチ。
ガザ侵攻の非人道性をその渦中であるイスラエルの授賞式で批判した。
えっと、世界情勢についてここではいうつもりはないです。(得意じゃないし^^;)
『常に卵の側に』というタイトルのその演説を一文を抜粋しますね。
「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」
どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても、私は卵の側に立ちます。何が正しく、何がまちがっているのかを決める必要がある人もいるのでしょう が、決めるのは時間か歴史ではないでしょうか。いかなる理由にせよ、壁の側に立って作品を書く小説家がいたとしたら、そんな仕事に何の価値があるのでしょ う?」
彼は「壁」をシステム(強者)、「卵」を個(弱者)として、たとえ壁が正しくても常に卵の側に立つと言っています。
わたしは小説家でもないし、書いていることはノロケだしSMだしちっとも崇高なものではないし。
エラソーなこと言える立場じゃないのだけど。
このブログの中で。
壁=システムは。
男性が作った社会であったり(個々の男性じゃないよ^^)。
絶対的な権力を持つご主人様だったり。
いろんな意味が込められているはずなのに、『主従』や『奴隷』や名称として一括りになった時点でひとつの威力になってしまう『言葉』そのものだったり。
(いつも言ってるけど、個々の『主従』『奴隷』を責めてるんじゃないよ〜。それで苦しくなるなら、という枕詞付きです)
『○○でなければならない』といういつの間にか出来上がっている多数意見。
卵=個は。
女性やM女さん。
誰かに従属していたい不安を抱えた人。
アンテナの感度が良すぎていらぬ傷を追ってしまう人。
『○○であるべきだ』という多数派の言葉に苦しさを感じている人。
少数の押しつぶされそうな『個』の気持ち。
だと思ってる。
時に『個』はとても弱い。
弱いということは、確かに正しいことではないかもしれない。
だけど、わたしは様々な場面で弱い側に立ちたい。
例え、それが正しくないことだったとしても。
システムについて行かれず、ひとりうずくまっている人がいるならば。
それが正しいとされていることから外れていても、わたしはその人の側にいたい。
なぜかというと、わたしも『個』でいたいから。
その人ひとりのためにと、そう思って書いている。
できる限り言葉を尽くして、奴隷さんや主従を結んでいるM女さんに向けているのではないと書いているつもりで、それでも批判的な意見に取れるように書いてしまったとするならば。
それはその先にある壁に向かって吠えているのです。
また、心の暗部を書いて、その原因やカラクリを自分なりに探っているのは、誰かのせいにしたいのではなく、『個』としてとても弱いけど、それを披露することで同じ『個』の側に少しでも寄り添えるのではないかと思って書いています。
一日200件前後のブログでなーんの役にも立たないと思うけど。
それでも、たとえ正しくなくても常に卵の側に立つ女性目線のSM的ブログがあってもいいんじゃないかなと思っています。
○○批判みたいに吠えちゃってるけどけっしてそれを否定しているつもりはなくて、それぞれの方法で幸せを感じていられたらいいよね。
それには『個』であるべきで、既成のシステムは参考にしかならないはずだ。(もしかしたら、参考にさえならないかもしれない)
って、誰に頼まれたわけじゃないけど、これもアンテナで拾ってしまうのと同様書かずにはいられない性分みたいです^^;
いつも『卵』に寄り添っていたい。
うずくまっているところから、立ち上がり歩き出すのは自分の力だ。
だから、わたしができることは、せめて、似たような女がここにいて、寄り添いたいと思っているよと願いを込めて書くこと。
拾った音を整理するため。
那智さんの楽しみのため。
誰にも頼まれていないけど、卵のそばに^^;
日々、吐き出して、日々更新していますが。
何もそんなこと書かなくてもと思うことまで。
人は人だよ、とも思う。
だけど、常に卵の側にいたいと思ってしまって。
非力ではあっても寄り添う力をブログが持っていると、おこがましくも思ってしまっているんだ。
ということで、わたしは、これからも一生懸命ノロケて、一生懸命毒を吐いていこうと思ってます。
うずくまっている人に届けと願って。
ブログを始めて今日で丸3年になりました。
いつも読んでくださっている方。
コメントや拍手コメントやメールをくださる方(拍手の方、たまには出てきてね^^)。
希有な男性読者様?(笑)
リンクを貼ってくださっているサイトやブログの皆さま。
おかげさまで3周年になりました。
わたしに関わってくださったすべての人に、感謝の気持ちを込めて。
本当にありがとうございました。
3周年ということで『薬指の刺青』らしく、熱く感謝のエントリーでした^^
ここまでお付き合いくださった皆さまにささやかではありますが、感謝の気持ちで。
いままで『自己紹介』やエントリーの中に掲載した画像を一挙公開。
ひとつ下のエントリーからお入りください。
(期間限定のため終了いたしました。ご了承くださいませ)
最後に、いつも書いていますが。
那智さん。
あなたがいてくれたから、わたしはここで自由に、そしてしっかりと立っていられるようになっています。
その経験の積み重ねが、普段のわたしも強くしてくれてるはずです。
続けさせてくれてありがとうございました。
あなたは、わたしのパワーの源。
感謝の気持ちを込めて、これからもいっぱい那智さんを『白馬に乗った王子様』にしちゃいます^^
那智さん、愛してまーす♪
ということで、皆様、これからもよろしくお願いします^^
ブログをはじめて今日で丸3年。
なぜはじめて、どうして続けているのだろう。
アンテナに引っかかるたくさんの出来事や感情を吐き出したいという理由ではじめて、それを表に出すことで気持ちを整理し、自己主張の体験を積んでいる。
そして、那智さんのため。
そのあたりは『『あなたのために』はしない』『暗闇にならない『あなたのため』』『社会性』で書いた。
わたしのためで、那智さんのため。
わたしの主張や感性を楽しんでくださる方々のおかげで、とても居心地の良い場所を作ることができています。
そして、もうひとつ。
とても非力ではあるけれど、願いを込めて書いている。
ここ数ヶ月で、その願いを言葉で表せることができるようになったから、今日はそれを書いてみようと思う。
それは、卵の側にいたいということなんだ。
村上春樹さんのエルサレム賞でのスピーチご存知ですか?
わたし村上春樹さんの本はほとんど読まないのだけど、あのスピーチはとても好きなのです。
(「村上春樹 卵」とか「村上春樹 演説」とかで検索すると全文読めます)
イスラエルで行われた文学賞エルサレム賞の授賞式でのスピーチ。
ガザ侵攻の非人道性をその渦中であるイスラエルの授賞式で批判した。
えっと、世界情勢についてここではいうつもりはないです。(得意じゃないし^^;)
『常に卵の側に』というタイトルのその演説を一文を抜粋しますね。
「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」
どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても、私は卵の側に立ちます。何が正しく、何がまちがっているのかを決める必要がある人もいるのでしょう が、決めるのは時間か歴史ではないでしょうか。いかなる理由にせよ、壁の側に立って作品を書く小説家がいたとしたら、そんな仕事に何の価値があるのでしょ う?」
彼は「壁」をシステム(強者)、「卵」を個(弱者)として、たとえ壁が正しくても常に卵の側に立つと言っています。
わたしは小説家でもないし、書いていることはノロケだしSMだしちっとも崇高なものではないし。
エラソーなこと言える立場じゃないのだけど。
このブログの中で。
壁=システムは。
男性が作った社会であったり(個々の男性じゃないよ^^)。
絶対的な権力を持つご主人様だったり。
いろんな意味が込められているはずなのに、『主従』や『奴隷』や名称として一括りになった時点でひとつの威力になってしまう『言葉』そのものだったり。
(いつも言ってるけど、個々の『主従』『奴隷』を責めてるんじゃないよ〜。それで苦しくなるなら、という枕詞付きです)
『○○でなければならない』といういつの間にか出来上がっている多数意見。
卵=個は。
女性やM女さん。
誰かに従属していたい不安を抱えた人。
アンテナの感度が良すぎていらぬ傷を追ってしまう人。
『○○であるべきだ』という多数派の言葉に苦しさを感じている人。
少数の押しつぶされそうな『個』の気持ち。
だと思ってる。
時に『個』はとても弱い。
弱いということは、確かに正しいことではないかもしれない。
だけど、わたしは様々な場面で弱い側に立ちたい。
例え、それが正しくないことだったとしても。
システムについて行かれず、ひとりうずくまっている人がいるならば。
それが正しいとされていることから外れていても、わたしはその人の側にいたい。
なぜかというと、わたしも『個』でいたいから。
その人ひとりのためにと、そう思って書いている。
できる限り言葉を尽くして、奴隷さんや主従を結んでいるM女さんに向けているのではないと書いているつもりで、それでも批判的な意見に取れるように書いてしまったとするならば。
それはその先にある壁に向かって吠えているのです。
また、心の暗部を書いて、その原因やカラクリを自分なりに探っているのは、誰かのせいにしたいのではなく、『個』としてとても弱いけど、それを披露することで同じ『個』の側に少しでも寄り添えるのではないかと思って書いています。
一日200件前後のブログでなーんの役にも立たないと思うけど。
それでも、たとえ正しくなくても常に卵の側に立つ女性目線のSM的ブログがあってもいいんじゃないかなと思っています。
○○批判みたいに吠えちゃってるけどけっしてそれを否定しているつもりはなくて、それぞれの方法で幸せを感じていられたらいいよね。
それには『個』であるべきで、既成のシステムは参考にしかならないはずだ。(もしかしたら、参考にさえならないかもしれない)
って、誰に頼まれたわけじゃないけど、これもアンテナで拾ってしまうのと同様書かずにはいられない性分みたいです^^;
いつも『卵』に寄り添っていたい。
うずくまっているところから、立ち上がり歩き出すのは自分の力だ。
だから、わたしができることは、せめて、似たような女がここにいて、寄り添いたいと思っているよと願いを込めて書くこと。
拾った音を整理するため。
那智さんの楽しみのため。
誰にも頼まれていないけど、卵のそばに^^;
日々、吐き出して、日々更新していますが。
何もそんなこと書かなくてもと思うことまで。
人は人だよ、とも思う。
だけど、常に卵の側にいたいと思ってしまって。
非力ではあっても寄り添う力をブログが持っていると、おこがましくも思ってしまっているんだ。
ということで、わたしは、これからも一生懸命ノロケて、一生懸命毒を吐いていこうと思ってます。
うずくまっている人に届けと願って。
ブログを始めて今日で丸3年になりました。
いつも読んでくださっている方。
コメントや拍手コメントやメールをくださる方(拍手の方、たまには出てきてね^^)。
希有な男性読者様?(笑)
リンクを貼ってくださっているサイトやブログの皆さま。
おかげさまで3周年になりました。
わたしに関わってくださったすべての人に、感謝の気持ちを込めて。
本当にありがとうございました。
3周年ということで『薬指の刺青』らしく、熱く感謝のエントリーでした^^
ここまでお付き合いくださった皆さまにささやかではありますが、感謝の気持ちで。
いままで『自己紹介』やエントリーの中に掲載した画像を一挙公開。
ひとつ下のエントリーからお入りください。
(期間限定のため終了いたしました。ご了承くださいませ)
最後に、いつも書いていますが。
那智さん。
あなたがいてくれたから、わたしはここで自由に、そしてしっかりと立っていられるようになっています。
その経験の積み重ねが、普段のわたしも強くしてくれてるはずです。
続けさせてくれてありがとうございました。
あなたは、わたしのパワーの源。
感謝の気持ちを込めて、これからもいっぱい那智さんを『白馬に乗った王子様』にしちゃいます^^
那智さん、愛してまーす♪
ということで、皆様、これからもよろしくお願いします^^
過去の私、未来の私
独特な幸福感
ソファに腰掛ける那智さんの足元に座り背筋を伸ばす。
那智さんが手にしているメジャーをわたしの首にかける。
クッと締める、少し苦しいくらいに。
「苦しい?」
「はい。」
少し緩める。
「これは?」
「まだ、少し苦しいです。」
「じゃあ、これは?」
「これなら大丈夫です。」
「ん〜、○○cmだなぁ」
KIRAさんのBODYアクセサリーの中から、チョーカーを購入しようとしてくれているのだ。
以前、首輪をオーダーメイドで用意してくれたときは、わたしが自分で計ったのだけど計り方がいけなかったのか、かなりきつく出来上がってしまったのだ。
自分の技術に自信がなかったから、今回は代わりに計ってもらうようにお願いした。
那智さん、昔取った杵柄でメジャー扱いがちょっと得意なのだ。
寸法を計るだけなのに。
クッと僅かに力をこめられ、絞まる首にドキドキしてしまう。
なんだか、甘美な想像。
アクセサリーをプレゼントしてくれるため、いまサイズを測ってくれている。
なんだか、ちょっと贅沢な気分。
少し未来のわたしのために那智さんが手を動かしてくれる、わたしは無防備に首を差し出す喜びを味わっていた。
なんだか、計ったサイズが思っていたより細かったみたいで、どうも納得いかない様子^^;
ソファに腰掛け、肘掛けのほうに上半身を傾けて、手持ちの首輪を計り出す(パンツ一丁で^^)。
寸法を比べようとしているみたい。
わたしも床からソファに移動して、正座で体ごと那智さんのほうを向く。
片手にメジャー、片手に首輪。
それを見つめる那智さん。
ちょっとかまってほしくて、正座のまま顔を近づける。
『かまって〜』オーラを放ちながら^^(ちなみに、わたしはお洋服着てます)
じーっと見つめる。
「わかったよ〜、こうすりゃあ、いいんだろ〜?」
ぐっと頭を掴んで、乱暴に胸に引き寄せる。
メジャーと首輪を持った両手に抱きかかえられるように、すっぽりと収まる。
頬が那智さんの皮膚に密着。
うわん♪そうなの、くっつきたかったの♪
しばらくじっとする。
わたしは自分を支えていた左腕を、意識して外す。
わざと那智さんに体を預けるのだ。
重ければ、だめって言うはず。
何もリアクションがない。
だから、そのままじっとしておく。
体を預け。
那智さんの右腕がわたしの肩の当たりに置かれてる。
静かな時間。
シュルシュルとメジャーを操る音が聞こえる。
時折。
「あれ?なんで?長さ違うの?」
とか
「ん、俺、頭悪い?(笑)」
なんて独り言のように言っているのが聞こえる。
わたしは黙ってじっと聞いているだけ。
だって、返事を求めているようではないのだもの。
左耳には那智さんの鼓動。
右からは、メージャーの擦れる音。
那智さんは計ることに意識が集中している。
わたしが体を預けようがお返事をしなかろうが、おかまいなし。
ああ、こんな幸せがあったんだ。
愛しい人が、少し未来のわたしのために手を動かし思考を巡らす。
そこにいることが当然のように、『いま』のわたしには無頓着。
わたしは、未来のわたしのために那智さんに放置されている、彼の温かい腕の中で。
なんて贅沢な放ったらかし。
未来のわたしのために手を動かしてくれるだけでも、とても贅沢に感じたけど。
こちらもとても贅沢だ。
わたしは遠慮することなく。
体を預け、そこにいる幸せだけを味わっていればいい。
こんな温かく無頓着にされる幸せがあったんだ。
那智さんの皮膚の感触、鼓動と『シュルシュル』という静かな音を聞いていたら。
涙が溢れてきた。
あんまり幸せで、でも、これだけで泣いてしまうことが、ちょっと照れ臭くて。
わざと、素直になる。
「あああ、那智さん、すごく幸せです。こんな幸せがあったんですね。」
「ん〜?(シュルシュル、まだ計ってる^^;)、あ〜、○○cmでいいんだ〜」
いいな〜、わたしが泣いても幸せ〜と訴えても、変わらず放ったらかしにしていてくれている。
遠慮しないでいいと空気や体温で教えてくれる、こんな時間を作ることができる那智さんは、とてもいい男だ。
これが幸せに感じられるのは、普段たくさん向き合ってくれているのを知っているから。
そして、ぐいっと引き寄せたのも、放置したままでいるのも、すべて『ふたりのため』だと感じさせてくれるから。
少し先の未来のわたしのために、この温かい腕の中で思う存分放置されているのだった。
那智さんと出会って、今日で丸6年。
7年目に突入しました。
6年経っても、変わることなく幸せに涙できることに感謝して、思い切り『那智さん、白馬の王子様』エントリー。
毎年、この日を迎えるたびに、思う。
去年だったら『5年前のわたし』
一昨年だったら『4年前のわたし』
過去のわたしへ呼びかける。
6年前のわたしへ。
わけもわからず彷徨って、得体の知れない不安がずっと足元を揺らしていたけれど。
あの日々、誰のせいにもせず、この不安の正体を知りたいと足掻いていたことは無駄ではなかったよ。
6月16日、那智さんに出会えるから、大丈夫。
諦めないで。
未来のあなたは、幸せだ。
『温かい放置』だなんていう、知らない種類の幸せを知ることができるよ。
だから、大丈夫。
って。
こうやって語りかけるとき、毎年必ず涙が流れる。
切なく幸せな涙。
7年目になりましたね、那智さん。
わたしのあなたを慕う気持ちは、6年前と変わらず、いいえ、もっともっと膨らんでいます。
那智さんを信じて。
互いの幸せのために。
いつも変わらず、わたしの側にいてくださってありがとうございます。
わたしも、いつまでも変わらず、あなたの『可愛い女』でいられるよう、新鮮な気持ちをなくさないでいます。
そして、未来のわたしへ。
10年後も20年後も、ずっと過去のわたしに語りかけようね、いまと同じ涙を流せるように。
もうひとつ。
とてもとても真剣に夢物語を願う、祈りを込めて。
いつか那智さんの心臓が止まるとき、わたしのそれも一緒に止まってくれるように、と。
またまた、熱いラブレターになっちゃった*^^*
皆さんには、過去エントリーも併せてお楽しみくださいませ^^
『出会い』
『尊敬』
『生きる』
『今度は5周年』
ソファに腰掛ける那智さんの足元に座り背筋を伸ばす。
那智さんが手にしているメジャーをわたしの首にかける。
クッと締める、少し苦しいくらいに。
「苦しい?」
「はい。」
少し緩める。
「これは?」
「まだ、少し苦しいです。」
「じゃあ、これは?」
「これなら大丈夫です。」
「ん〜、○○cmだなぁ」
KIRAさんのBODYアクセサリーの中から、チョーカーを購入しようとしてくれているのだ。
以前、首輪をオーダーメイドで用意してくれたときは、わたしが自分で計ったのだけど計り方がいけなかったのか、かなりきつく出来上がってしまったのだ。
自分の技術に自信がなかったから、今回は代わりに計ってもらうようにお願いした。
那智さん、昔取った杵柄でメジャー扱いがちょっと得意なのだ。
寸法を計るだけなのに。
クッと僅かに力をこめられ、絞まる首にドキドキしてしまう。
なんだか、甘美な想像。
アクセサリーをプレゼントしてくれるため、いまサイズを測ってくれている。
なんだか、ちょっと贅沢な気分。
少し未来のわたしのために那智さんが手を動かしてくれる、わたしは無防備に首を差し出す喜びを味わっていた。
なんだか、計ったサイズが思っていたより細かったみたいで、どうも納得いかない様子^^;
ソファに腰掛け、肘掛けのほうに上半身を傾けて、手持ちの首輪を計り出す(パンツ一丁で^^)。
寸法を比べようとしているみたい。
わたしも床からソファに移動して、正座で体ごと那智さんのほうを向く。
片手にメジャー、片手に首輪。
それを見つめる那智さん。
ちょっとかまってほしくて、正座のまま顔を近づける。
『かまって〜』オーラを放ちながら^^(ちなみに、わたしはお洋服着てます)
じーっと見つめる。
「わかったよ〜、こうすりゃあ、いいんだろ〜?」
ぐっと頭を掴んで、乱暴に胸に引き寄せる。
メジャーと首輪を持った両手に抱きかかえられるように、すっぽりと収まる。
頬が那智さんの皮膚に密着。
うわん♪そうなの、くっつきたかったの♪
しばらくじっとする。
わたしは自分を支えていた左腕を、意識して外す。
わざと那智さんに体を預けるのだ。
重ければ、だめって言うはず。
何もリアクションがない。
だから、そのままじっとしておく。
体を預け。
那智さんの右腕がわたしの肩の当たりに置かれてる。
静かな時間。
シュルシュルとメジャーを操る音が聞こえる。
時折。
「あれ?なんで?長さ違うの?」
とか
「ん、俺、頭悪い?(笑)」
なんて独り言のように言っているのが聞こえる。
わたしは黙ってじっと聞いているだけ。
だって、返事を求めているようではないのだもの。
左耳には那智さんの鼓動。
右からは、メージャーの擦れる音。
那智さんは計ることに意識が集中している。
わたしが体を預けようがお返事をしなかろうが、おかまいなし。
ああ、こんな幸せがあったんだ。
愛しい人が、少し未来のわたしのために手を動かし思考を巡らす。
そこにいることが当然のように、『いま』のわたしには無頓着。
わたしは、未来のわたしのために那智さんに放置されている、彼の温かい腕の中で。
なんて贅沢な放ったらかし。
未来のわたしのために手を動かしてくれるだけでも、とても贅沢に感じたけど。
こちらもとても贅沢だ。
わたしは遠慮することなく。
体を預け、そこにいる幸せだけを味わっていればいい。
こんな温かく無頓着にされる幸せがあったんだ。
那智さんの皮膚の感触、鼓動と『シュルシュル』という静かな音を聞いていたら。
涙が溢れてきた。
あんまり幸せで、でも、これだけで泣いてしまうことが、ちょっと照れ臭くて。
わざと、素直になる。
「あああ、那智さん、すごく幸せです。こんな幸せがあったんですね。」
「ん〜?(シュルシュル、まだ計ってる^^;)、あ〜、○○cmでいいんだ〜」
いいな〜、わたしが泣いても幸せ〜と訴えても、変わらず放ったらかしにしていてくれている。
遠慮しないでいいと空気や体温で教えてくれる、こんな時間を作ることができる那智さんは、とてもいい男だ。
これが幸せに感じられるのは、普段たくさん向き合ってくれているのを知っているから。
そして、ぐいっと引き寄せたのも、放置したままでいるのも、すべて『ふたりのため』だと感じさせてくれるから。
少し先の未来のわたしのために、この温かい腕の中で思う存分放置されているのだった。
那智さんと出会って、今日で丸6年。
7年目に突入しました。
6年経っても、変わることなく幸せに涙できることに感謝して、思い切り『那智さん、白馬の王子様』エントリー。
毎年、この日を迎えるたびに、思う。
去年だったら『5年前のわたし』
一昨年だったら『4年前のわたし』
過去のわたしへ呼びかける。
6年前のわたしへ。
わけもわからず彷徨って、得体の知れない不安がずっと足元を揺らしていたけれど。
あの日々、誰のせいにもせず、この不安の正体を知りたいと足掻いていたことは無駄ではなかったよ。
6月16日、那智さんに出会えるから、大丈夫。
諦めないで。
未来のあなたは、幸せだ。
『温かい放置』だなんていう、知らない種類の幸せを知ることができるよ。
だから、大丈夫。
って。
こうやって語りかけるとき、毎年必ず涙が流れる。
切なく幸せな涙。
7年目になりましたね、那智さん。
わたしのあなたを慕う気持ちは、6年前と変わらず、いいえ、もっともっと膨らんでいます。
那智さんを信じて。
互いの幸せのために。
いつも変わらず、わたしの側にいてくださってありがとうございます。
わたしも、いつまでも変わらず、あなたの『可愛い女』でいられるよう、新鮮な気持ちをなくさないでいます。
そして、未来のわたしへ。
10年後も20年後も、ずっと過去のわたしに語りかけようね、いまと同じ涙を流せるように。
もうひとつ。
とてもとても真剣に夢物語を願う、祈りを込めて。
いつか那智さんの心臓が止まるとき、わたしのそれも一緒に止まってくれるように、と。
またまた、熱いラブレターになっちゃった*^^*
皆さんには、過去エントリーも併せてお楽しみくださいませ^^
『出会い』
『尊敬』
『生きる』
『今度は5周年』
気持ちを乗っける
独り言
言葉は悪いんだけど、久しぶりに胸くそ悪いものを見てしまった。
辻井伸行さんというピアニストが国際ピアノコンクールで優勝したニュース。
日本人として初の優勝だそうで、それだけでも素晴らしいことなのでしょうけど、全盲だということでより脚光を浴びている。
まったく関係のない私まで、祝福の気持ちとなんだか『どうだ〜』というわけのわからない誇らしさをお裾分けさせてもらった感じだった。
優勝した日からニュースや情報番組で様々な報道をされ、ご家族のご苦労や愛情に心を動かされた。
中でもお父さんの語ったエピソードに、胸を打たれて、朝からウルウルしてしまった。
生まれたときから目が見えない辻井さんが、10代(だったかな?)の頃、一度だけお父さんにこう言ったそうだ。
『一日だけ目が見えるなら、その後また見えなくなってもいいから、一日だけ見ることができるならお母さんの顔を見てみたい』
と。
幼い頃から常に支えてきてくれたであろうお母さんの顔を一度でいいから見てみたい。
お父さんは、それを聞いた時はさすがに不憫になったと、声をつまらせながらインタビューに応えていた。
そうだよな〜、愛する人の顔見たいよね。
それを一度だけ口に出して願う息子の姿を見たお父さんは、胸がつぶれそうなほど切なかっただろう。
いち視聴者のわたしが『切なかった』なんて想像するのも申し訳ないくらい、辻井さんの言葉とそれを振り返るお父さんの言葉は心からの、ううん、かっこいい言い方だけど『魂の言葉』だった。
そのエピソードをたまたま見て、しばらくして辻井さんが帰国して凱旋記者会見がテレビで流れていたのをたまたま目にした時のことだった。
チャンネルザッピングをしていたので、前後の関係がわからずその一場面だけを取って言う失礼をお許しいただきたいのですが。
テレビ画面には辻井さんが写っていて、たくさんのマイクの前で質問に答えている様子だった。
女性の声が聞こえてきた。
多分、どこかの記者かレポーターだろう。
ものすごく感情を込めたような声でこう質問してきた。
『もしも、一日だけ目が見えるとしたら…』
ここで私はテレビのスイッチを消した。
恐らく、『一日だけ見えるとしたら、何が見たいですか?』と聞いたのだろう。
そのインタビュアーが前に書いたお父さんのエピソードを知っているのか、知らないのか、それはわからない。
だけど、もし知らなかったとしたら、なんて失礼な質問だろう。
そして、もし知っていたのなら、『お母さん』という答えを誘導しているはずで、それはなんて無神経な能のない質問だろう。
あの言葉は、それを共有できる父と息子の間でひっそりと交わされた言葉だから『魂の言葉』として、私には感じられたんだ。
それを、誰とも知らない人に、無理矢理『美談』として引っ張り出されたくないんじゃないかと、勝手に思ってしまった。
その言葉に魂が宿るかどうかは、それを発する人の心で決まると思う。
テレビに載せる美談にしようと、いくら女性レポーターが感情を込めていっても、何も心を揺さぶらない。
もちろんね、会話には『誘導』はあるかもしれない、でも、『裏側の意図』がわかってしまうのは、よくないよね。
あまりの無神経さに腹が立った。
その後辻井さんがどう答えたか見ていないのだけど、なんだか不憫になってしまったよ。
言葉には魂が宿るなんて、日頃考えないし、そんな立派な人生を歩んでいるわけじゃなけど。
言葉には、その人の気持ちが乗っかるな〜というのを感じることが時々ある。
前エントリーで『未来の自分のために放置される幸せ』を書いたけど、それに拍手コメントで『羨ましくて、憎らしくて…』という始まりでコメントをくれた方がいた。
その方とは初対面(ネット上でですが)ではないので多少のアドバンテージはあるにしても、『憎らしい』と書くにはちょっと勇気がいるはずだ。
だけど、その人はその人の幸せを持っているなかで、『憎らしい』で互いの幸せの共感を表してくれたのだ。
普通ちょっと身構える言葉だけど、そこに悪意がないのがわかるから、私は喜んでその言葉を受け取った。
気持ちは言葉に乗っかるのだ。
逆に、字面としては良い言葉を使っていてもそこに悪意や別な意図を含んでしまうと、やはり伝わる。
例のレポーターのような言葉の裏側の『別な意図』は、伝わってしまうものだ。
ただ、こればかりは、好みや感性の相性があると思う。
もしかしたら、あの記者会見だけしか見ていない人や感性がレポーター寄りな人には、感動のインタビューに感じられているかもしれないので、どれが良い悪いじゃないと思うのだけど。
私は、誰も傷つけたくないと思いながらも、自分の感性を信じて言葉に気持ちを乗っけていこうと思う。
胸くそ悪くなったけど、そう思い返せたから良しとするか。
ちなみに、那智さんは字面より『気持ちを乗っける』人。
いや、もっと字面も気にしたほうがいいんじゃない?とは思うけど、とにかく那智さん的言葉の選び方があるのだ。
那智さんのことよくわかっている人には『気持ちが乗っかってる』こと伝わると思うのだけど、あんまり字面を気にしないから、時々ヒヤヒヤする^^;
先日もKIRAさんのブログに『頑張ってくださいは嫌い』とコメントしていた。
あれは、那智さんとしては最高の応援なんだけど、またまたKIRAさんとうちを両方見ている方が、拍手コメントで『KIRAさんのところのコメントを見て、びっくりした』とコメントをくれたのです。
その方は良い解釈で取ってくれたから、問題ないのだけど。
そこで、『あ〜、これって気持ち乗っかってるの伝わりにくいかも?』と改めて思ったのだ。
私は慣れているのだけどね^^
面白い人でしょ?^^
『頑張って』というのは、とても無責任な励まし言葉だと思ってるの。
頑張ってるのは本人が一番よくわかってるんだから、周りが言うと突き放しているイメージがある。
自分と無関係の人に言っているみたいで、好きじゃない、そうなんだ。
私が仕事に出かける最中にたまたまお話できるとき。
「じゃあ、そろそろ会場入りしますね〜」と言うと。
「うん、頑張って…ああ、頑張ってじゃないな、じゃあ、りん子祝福ね〜」と言って送り出してくれる。
つい言ってしまいそうになるようで、こうやって訂正までしてくれる。
こういうとき、ああ、気持ち乗っかってるな〜と感じるのだ。
確かに、ちょっと特殊な感性で『頑張っては嫌い』という字面には驚かされるけど、那智さんらしい。
もし、どこかで那智さんとやり取りをされる機会がある方がいたら、字面じゃなくて乗っかってる気持ちを見てね〜と思う^^
あ、でも、それと、発注の滞りは関係ないので…。
KIRAさ〜ん、ちょっと滞っているみたいですけど、もう少し待っててね〜^^(って、お名前いっぱい出しちゃってごめんなさい^^;)
言葉は悪いんだけど、久しぶりに胸くそ悪いものを見てしまった。
辻井伸行さんというピアニストが国際ピアノコンクールで優勝したニュース。
日本人として初の優勝だそうで、それだけでも素晴らしいことなのでしょうけど、全盲だということでより脚光を浴びている。
まったく関係のない私まで、祝福の気持ちとなんだか『どうだ〜』というわけのわからない誇らしさをお裾分けさせてもらった感じだった。
優勝した日からニュースや情報番組で様々な報道をされ、ご家族のご苦労や愛情に心を動かされた。
中でもお父さんの語ったエピソードに、胸を打たれて、朝からウルウルしてしまった。
生まれたときから目が見えない辻井さんが、10代(だったかな?)の頃、一度だけお父さんにこう言ったそうだ。
『一日だけ目が見えるなら、その後また見えなくなってもいいから、一日だけ見ることができるならお母さんの顔を見てみたい』
と。
幼い頃から常に支えてきてくれたであろうお母さんの顔を一度でいいから見てみたい。
お父さんは、それを聞いた時はさすがに不憫になったと、声をつまらせながらインタビューに応えていた。
そうだよな〜、愛する人の顔見たいよね。
それを一度だけ口に出して願う息子の姿を見たお父さんは、胸がつぶれそうなほど切なかっただろう。
いち視聴者のわたしが『切なかった』なんて想像するのも申し訳ないくらい、辻井さんの言葉とそれを振り返るお父さんの言葉は心からの、ううん、かっこいい言い方だけど『魂の言葉』だった。
そのエピソードをたまたま見て、しばらくして辻井さんが帰国して凱旋記者会見がテレビで流れていたのをたまたま目にした時のことだった。
チャンネルザッピングをしていたので、前後の関係がわからずその一場面だけを取って言う失礼をお許しいただきたいのですが。
テレビ画面には辻井さんが写っていて、たくさんのマイクの前で質問に答えている様子だった。
女性の声が聞こえてきた。
多分、どこかの記者かレポーターだろう。
ものすごく感情を込めたような声でこう質問してきた。
『もしも、一日だけ目が見えるとしたら…』
ここで私はテレビのスイッチを消した。
恐らく、『一日だけ見えるとしたら、何が見たいですか?』と聞いたのだろう。
そのインタビュアーが前に書いたお父さんのエピソードを知っているのか、知らないのか、それはわからない。
だけど、もし知らなかったとしたら、なんて失礼な質問だろう。
そして、もし知っていたのなら、『お母さん』という答えを誘導しているはずで、それはなんて無神経な能のない質問だろう。
あの言葉は、それを共有できる父と息子の間でひっそりと交わされた言葉だから『魂の言葉』として、私には感じられたんだ。
それを、誰とも知らない人に、無理矢理『美談』として引っ張り出されたくないんじゃないかと、勝手に思ってしまった。
その言葉に魂が宿るかどうかは、それを発する人の心で決まると思う。
テレビに載せる美談にしようと、いくら女性レポーターが感情を込めていっても、何も心を揺さぶらない。
もちろんね、会話には『誘導』はあるかもしれない、でも、『裏側の意図』がわかってしまうのは、よくないよね。
あまりの無神経さに腹が立った。
その後辻井さんがどう答えたか見ていないのだけど、なんだか不憫になってしまったよ。
言葉には魂が宿るなんて、日頃考えないし、そんな立派な人生を歩んでいるわけじゃなけど。
言葉には、その人の気持ちが乗っかるな〜というのを感じることが時々ある。
前エントリーで『未来の自分のために放置される幸せ』を書いたけど、それに拍手コメントで『羨ましくて、憎らしくて…』という始まりでコメントをくれた方がいた。
その方とは初対面(ネット上でですが)ではないので多少のアドバンテージはあるにしても、『憎らしい』と書くにはちょっと勇気がいるはずだ。
だけど、その人はその人の幸せを持っているなかで、『憎らしい』で互いの幸せの共感を表してくれたのだ。
普通ちょっと身構える言葉だけど、そこに悪意がないのがわかるから、私は喜んでその言葉を受け取った。
気持ちは言葉に乗っかるのだ。
逆に、字面としては良い言葉を使っていてもそこに悪意や別な意図を含んでしまうと、やはり伝わる。
例のレポーターのような言葉の裏側の『別な意図』は、伝わってしまうものだ。
ただ、こればかりは、好みや感性の相性があると思う。
もしかしたら、あの記者会見だけしか見ていない人や感性がレポーター寄りな人には、感動のインタビューに感じられているかもしれないので、どれが良い悪いじゃないと思うのだけど。
私は、誰も傷つけたくないと思いながらも、自分の感性を信じて言葉に気持ちを乗っけていこうと思う。
胸くそ悪くなったけど、そう思い返せたから良しとするか。
ちなみに、那智さんは字面より『気持ちを乗っける』人。
いや、もっと字面も気にしたほうがいいんじゃない?とは思うけど、とにかく那智さん的言葉の選び方があるのだ。
那智さんのことよくわかっている人には『気持ちが乗っかってる』こと伝わると思うのだけど、あんまり字面を気にしないから、時々ヒヤヒヤする^^;
先日もKIRAさんのブログに『頑張ってくださいは嫌い』とコメントしていた。
あれは、那智さんとしては最高の応援なんだけど、またまたKIRAさんとうちを両方見ている方が、拍手コメントで『KIRAさんのところのコメントを見て、びっくりした』とコメントをくれたのです。
その方は良い解釈で取ってくれたから、問題ないのだけど。
そこで、『あ〜、これって気持ち乗っかってるの伝わりにくいかも?』と改めて思ったのだ。
私は慣れているのだけどね^^
面白い人でしょ?^^
『頑張って』というのは、とても無責任な励まし言葉だと思ってるの。
頑張ってるのは本人が一番よくわかってるんだから、周りが言うと突き放しているイメージがある。
自分と無関係の人に言っているみたいで、好きじゃない、そうなんだ。
私が仕事に出かける最中にたまたまお話できるとき。
「じゃあ、そろそろ会場入りしますね〜」と言うと。
「うん、頑張って…ああ、頑張ってじゃないな、じゃあ、りん子祝福ね〜」と言って送り出してくれる。
つい言ってしまいそうになるようで、こうやって訂正までしてくれる。
こういうとき、ああ、気持ち乗っかってるな〜と感じるのだ。
確かに、ちょっと特殊な感性で『頑張っては嫌い』という字面には驚かされるけど、那智さんらしい。
もし、どこかで那智さんとやり取りをされる機会がある方がいたら、字面じゃなくて乗っかってる気持ちを見てね〜と思う^^
あ、でも、それと、発注の滞りは関係ないので…。
KIRAさ〜ん、ちょっと滞っているみたいですけど、もう少し待っててね〜^^(って、お名前いっぱい出しちゃってごめんなさい^^;)
おしっこおいしい
非日常的な日常
急転直下
晴天の霹靂
信じられない
いきなり、こんな感覚になるなんて
あれほど『あり得ない』と思っていたのに
信じられない
那智さんの
おしっこが
おいしい…
那智さんがずっと前に付き合っていた女性は那智さんの精液を「おいしい」と言っていたそうだ。
それを聞いて、わたしはかなり毒を吐いた。
おいしいはずないじゃない。
おいしいなんて言えるのは自己陶酔以外の何ものでもない。
おいしくないけど、嬉しいならわかる。
って。(『味覚障害』)
できるだけ心に正直でいたいと思ってる、特に那智さんとのことに関しては。
だから、おしっこも『おいしいわけじゃないけど、嬉しいもの』と伝えている。
うんこ同様、那智さんから排泄されるものを喜んで摂取するりん子というのは那智さんの目指すところなので、本当は多少歪曲させて『嬉しい=おいしい』と表現してしまってもいいのかとも思うけど、やはりウソはつきたくない。
那智さんだって、心から『おいしい』と言わせたいはずだから。
『おいしいわけじゃないけど、嬉しいもの』
一度、わんこになって陶酔している最中に『おいしい』と感じたことはあるけれど、その時は味覚として記憶に残っていないんだ。(『とうとう味覚障害!?』)
どちらにしても、あれ以来『おいしい』はない。
何年も何回も飲んできた。
「いる〜?」と聞かれ。
「おしっこ〜」と呼ばれ。
ベッドの上で、お風呂場で。
裸でも着衣でも。
薄いもの濃いのも。
私に『あげるね』という感覚で飲ませているのだから、飲める量のときだけ。
だから、毎回ではないのだけど、それでもいろんな場所でいろんなおしっこを。
でも、どうしたっておいしい味じゃない。
だから、那智さんがくれる『愛情』をホクホクと、でも、粛々ともらっているという感じだった。
せっかくですから、おしっこを飲むでいくつか。
そういう内容ですから、ご注意くださいね、いちおう^^
『なんの味?』
『矛盾は嫌い』
『親指姫』
少し前のデートのとき。
いろいろし終わって、ちょっとヘロヘロの私にいつものように『おしっこ〜』。
快感の余韻に浸っていた私は、その言葉に更に深い快感の海に引きずり込まれたよう。
ぐわんと体が気持ちよくなってしまった。
腕枕から足元に移動するわずかな時間。
おしっこに欲情している。
いつもこぼさないようにとか全部飲めるかなとか、頭を働かせ舌で勢いを調整しながら飲むのだけど。
このときは違った。
もう、欲しくて欲しくてしょうがなくて気持ちよくて、グビグビとひたすら飲んだ。
この時に『おいしい』と思ったのだ。
「那智さん、おいしかったです。」
「うん、おいしそうだった。」
「感じていたからでしょうか。」
「それと慣れじゃない?」
信じられない。
自分の感覚を疑う。
ドーパミンが出てて、そう感じただけじゃない!?
たとえ、そうでも『おいしい』と感じたことは確かだ。
信じられない。
欲しとか嬉しいじゃなくて、おいしい。
ちょっと感慨深くもある。
嬉しいを『おいしい』と言ってしまえば、那智さんは喜ぶし褒めてくれるだろう。
でも、心に正直でいたいと思って『おいしい』を否定してきた。
その私がおいしいと思うなんて。
那智さんのほうこそ感慨深いはず、だって、スカトロは彼の幼い頃からのファンタジーだもの。
これは、それの一歩前進を表す。
ただ、ここは那智さんらしく冷静。
今回そう思えたとしても、次も同じように感じるかはわからないよ。
だから、りん子は次そう思えなくても悲しくならないように。
俺は、りん子が正直に反応してくれるのがいいのだから。
私のことよくわかってる。
つい、相手の期待に応えたいばっかりに自分の本当の気持ちが見なくなってしまう、それとか思うような反応になれない自分を責めてしまう、そんな私に釘を刺してくれる。
そして『慣れだ』と言うことで、それによって愛情を計るような馬鹿げた意識を持たないでいさせてくれるのだ。
いつも私が自由でいられるようにしてくれることに感謝しながら。
次もおいしいと思えるだろうか、思えるといいなと願うわたしと、まだ疑っているわたし。
でも、静かに『次』を待っていた。
あれ!?
おしっこおいしいで、2話目に突入^^;
最近、ちょっとハートフルだったので、読んでくださる方を裏切る変態話(笑)
那智さんが私におしっこを飲ませるスタンスについて
『飲尿』
『お昼からこんな内容^^;』
『お昼からこんな内容』に登場する『幸せな便器』は後日那智さんより訂正されています。
『訂正します!>』
急転直下
晴天の霹靂
信じられない
いきなり、こんな感覚になるなんて
あれほど『あり得ない』と思っていたのに
信じられない
那智さんの
おしっこが
おいしい…
那智さんがずっと前に付き合っていた女性は那智さんの精液を「おいしい」と言っていたそうだ。
それを聞いて、わたしはかなり毒を吐いた。
おいしいはずないじゃない。
おいしいなんて言えるのは自己陶酔以外の何ものでもない。
おいしくないけど、嬉しいならわかる。
って。(『味覚障害』)
できるだけ心に正直でいたいと思ってる、特に那智さんとのことに関しては。
だから、おしっこも『おいしいわけじゃないけど、嬉しいもの』と伝えている。
うんこ同様、那智さんから排泄されるものを喜んで摂取するりん子というのは那智さんの目指すところなので、本当は多少歪曲させて『嬉しい=おいしい』と表現してしまってもいいのかとも思うけど、やはりウソはつきたくない。
那智さんだって、心から『おいしい』と言わせたいはずだから。
『おいしいわけじゃないけど、嬉しいもの』
一度、わんこになって陶酔している最中に『おいしい』と感じたことはあるけれど、その時は味覚として記憶に残っていないんだ。(『とうとう味覚障害!?』)
どちらにしても、あれ以来『おいしい』はない。
何年も何回も飲んできた。
「いる〜?」と聞かれ。
「おしっこ〜」と呼ばれ。
ベッドの上で、お風呂場で。
裸でも着衣でも。
薄いもの濃いのも。
私に『あげるね』という感覚で飲ませているのだから、飲める量のときだけ。
だから、毎回ではないのだけど、それでもいろんな場所でいろんなおしっこを。
でも、どうしたっておいしい味じゃない。
だから、那智さんがくれる『愛情』をホクホクと、でも、粛々ともらっているという感じだった。
せっかくですから、おしっこを飲むでいくつか。
そういう内容ですから、ご注意くださいね、いちおう^^
『なんの味?』
『矛盾は嫌い』
『親指姫』
少し前のデートのとき。
いろいろし終わって、ちょっとヘロヘロの私にいつものように『おしっこ〜』。
快感の余韻に浸っていた私は、その言葉に更に深い快感の海に引きずり込まれたよう。
ぐわんと体が気持ちよくなってしまった。
腕枕から足元に移動するわずかな時間。
おしっこに欲情している。
いつもこぼさないようにとか全部飲めるかなとか、頭を働かせ舌で勢いを調整しながら飲むのだけど。
このときは違った。
もう、欲しくて欲しくてしょうがなくて気持ちよくて、グビグビとひたすら飲んだ。
この時に『おいしい』と思ったのだ。
「那智さん、おいしかったです。」
「うん、おいしそうだった。」
「感じていたからでしょうか。」
「それと慣れじゃない?」
信じられない。
自分の感覚を疑う。
ドーパミンが出てて、そう感じただけじゃない!?
たとえ、そうでも『おいしい』と感じたことは確かだ。
信じられない。
欲しとか嬉しいじゃなくて、おいしい。
ちょっと感慨深くもある。
嬉しいを『おいしい』と言ってしまえば、那智さんは喜ぶし褒めてくれるだろう。
でも、心に正直でいたいと思って『おいしい』を否定してきた。
その私がおいしいと思うなんて。
那智さんのほうこそ感慨深いはず、だって、スカトロは彼の幼い頃からのファンタジーだもの。
これは、それの一歩前進を表す。
ただ、ここは那智さんらしく冷静。
今回そう思えたとしても、次も同じように感じるかはわからないよ。
だから、りん子は次そう思えなくても悲しくならないように。
俺は、りん子が正直に反応してくれるのがいいのだから。
私のことよくわかってる。
つい、相手の期待に応えたいばっかりに自分の本当の気持ちが見なくなってしまう、それとか思うような反応になれない自分を責めてしまう、そんな私に釘を刺してくれる。
そして『慣れだ』と言うことで、それによって愛情を計るような馬鹿げた意識を持たないでいさせてくれるのだ。
いつも私が自由でいられるようにしてくれることに感謝しながら。
次もおいしいと思えるだろうか、思えるといいなと願うわたしと、まだ疑っているわたし。
でも、静かに『次』を待っていた。
あれ!?
おしっこおいしいで、2話目に突入^^;
最近、ちょっとハートフルだったので、読んでくださる方を裏切る変態話(笑)
那智さんが私におしっこを飲ませるスタンスについて
『飲尿』
『お昼からこんな内容^^;』
『お昼からこんな内容』に登場する『幸せな便器』は後日那智さんより訂正されています。
『訂正します!>』
おしっこおいしい2
非日常的な日常
那智さんのおしっこを『おいしい』と感じたときから、それほど時間を空けずにまた飲む機会がやってきた。
ほんのちょっと、いや、かなり身構えてしまう。
おいしと思えるだうか。
思えなかったら、悲しいだろうか。
そのときのことは、それほど特筆するべきことはなくて。
前回と同じように『いろんなこと』をして、ちょっとふわふわしているタイミングで、体勢も同じ。
敢えてそうしてくれているのか、わからないけど、前回と同じ状況の中での飲尿だった。
そして、うん、おいしい。
う〜ん、おいしと思う自分を疑ってかかって、『好ましい味』という感じだった。
飲みにくいとか苦手な味と思うことがなくて、ちょっとホッとしたというのが正直な感想だった。
これが、どうしようもなく、欲しくてたまらないものだと決定付けたのは、その後日のお電話でだった。
那智さんはお仕事場でひとりでいてそれほど立て込んだ仕事がないときに限って、お仕事をしながら電話をかけてくれる。
通話無料の携帯でイヤフォンをしてなので、かなりの『片手間』ではあるけど、私が話題提供をしてそれに相づちを打ってくれたり、別の電話で話しているのをこそっと聞いたり。
何が何でも繋がっていたい私には、とても感謝の時間。
この日もそんな状況だった。
ちょうどベランダで一服するタイミングで電話をかけ、そのままイヤフォンをつけた状態でお仕事場に戻ったらしい。
それで、那智さんは通話状態のままトイレに寄ったんだ。(これも時々やるんだよ。変なふたり?*^^*)
おしっこが便器に落ちる音が聞こえてきた。
その音で『ああ、トイレに寄ったんだ』と理解した、その瞬間。
ぐわ〜〜〜っと欲望が溢れ出してしまった。
あああああ、那智さんのおしっこが飲みたい。
あの味が恋しい。
あれを味わいたい。
おしっこがほしい。
それと同時に、ものすごく欲情してしまった。
那智さんのおしっこに、おしっこの音に欲情しているのだ。
そこから転げ落ちるように。
那智さんのおしっこの虜になっている自分を目の当たりにする。
もう体が気持ちよくてしょうがない。
おしっこが飲みたくてしょうがない。
これを口にしていいものかためらうものの、口にしないではいられない。
6年間の付き合いではじめて、心からそう思ってしまったのだもの。
「…那智さん…」
「ん?」
「言うのためらうのですが、…わたし、那智さんのおしっこが飲みたいです…」
「そう。りん子いま感じてるだろ。」
「はい。」
「いいこだ。」
そんなことを口にすることをためらう。
もしかして、『いいこだ』が嬉しくて、そう思う込んでるんじゃないか。
可愛げないけど、ずっと自問自答してる。
だけど、この日、私の頭の中が那智さんのおしっこでいっぱいになっていて、自分に問いかける度に『おかしい私』がそれを跳ね返す。
溢れるこの欲求と快感が、疑う余地を与えてくれなかった。
那智さんは言う。
おしっこが欲しいと思ったら、その都度口に出して伝えるように。
はっきりと思ったときだけでいい。
日常、ふと『那智さんがほしい』と気持ちが競り上がるときがある(けっこう何度も^^;)
具体的に『キスしてほしい』とか『くっつきたい』とか『セックスしてほしい』とか思い描けるときもあれば、漠然と『那智さんほしい』と思うこともある。
この時『おしっこがほしい』と言えば、褒めてもらえるし喜んでくれた。
だから、漠然と思った時に『おしっこ』に気持ちを傾けようと思えばできてしまうのだ。
それを、那智さんも私も危惧していた。
褒めてほしいから、無意識に『おしっこがいい』と思い込むことはしたくない。
ふたりにとって、自然な、そして、切実な願いにしたいのだ。
だから、はっきりと思った時だけでいい、になる。
そう言われてから。
この日はずーっと。
那智さんのおしっこが飲みたくてほしくて、感じてしまって焦がれてしまって。
何度も、何度も、伝えた。
那智さん、今度会ったときにはこぼしちゃうかもしれないけど、全部ください。
飲み切れなかったらかけてください。
そうだね。
那智さん、トイレ行かないですか?
まだだよ。
早く、行って。音聞かせて。
そうだね、待っててね。
音、聞きながらオナニーしてもいいですか?
うん、いいよ。
じゃあ、今度飲みながらは?飲みながらだと『していい?』って聞けません。
そうだね、じゃあ、飲みながらの時は許可を得ないでしていいよ。
お仕事場の別のトイレで音を聞かせてもらうけど、便器が違うからいい音しないの^^;
だから。
那智さん、さっきの音のほうがいい。
そう、仕方ないね。
次はさっきのほうでして。
今度ね。
自分で触りながらこんな会話をする快感。
たまらなく気持ちいい。
この日味わった快感が、どうしても欲しいものということを決定付けていた。
それ以来。
那智さんのおしっこはほとんど飲むかかけるかしてもらってる。
洋服を着ていれば、手にかけてもらう。
ホクホクと粛々ともらってるというよりも。
あの味が好きで。
あれをかけてもらうことが嬉しくて、気持ちよくて。
でも、那智さんも私も、できるだけ正直でいたいと思うことには変わりなく。
毎回「いる?」と聞かれるし、お腹いっぱいのときは「いりません、でも、手にかけてください」とか「ちょっとだけ」なんて選んでいる。
おしっこを聖水などと言って特別なものという位置付けをしている方もいらっしゃると思うけど。
私の場合は、違うかな。
那智さんの愛撫や抱擁という感じかな。
だから、気持ちいいしほしいと思うのだろう。
味付きの愛撫や抱擁は、おいしいに繋がるのだろうか。
なぜ、おいしいと感じたか。
私なりの見解を次回に^^
いや、ただの変態ってことでもいいのだけど^^;
那智さんのおしっこを『おいしい』と感じたときから、それほど時間を空けずにまた飲む機会がやってきた。
ほんのちょっと、いや、かなり身構えてしまう。
おいしと思えるだうか。
思えなかったら、悲しいだろうか。
そのときのことは、それほど特筆するべきことはなくて。
前回と同じように『いろんなこと』をして、ちょっとふわふわしているタイミングで、体勢も同じ。
敢えてそうしてくれているのか、わからないけど、前回と同じ状況の中での飲尿だった。
そして、うん、おいしい。
う〜ん、おいしと思う自分を疑ってかかって、『好ましい味』という感じだった。
飲みにくいとか苦手な味と思うことがなくて、ちょっとホッとしたというのが正直な感想だった。
これが、どうしようもなく、欲しくてたまらないものだと決定付けたのは、その後日のお電話でだった。
那智さんはお仕事場でひとりでいてそれほど立て込んだ仕事がないときに限って、お仕事をしながら電話をかけてくれる。
通話無料の携帯でイヤフォンをしてなので、かなりの『片手間』ではあるけど、私が話題提供をしてそれに相づちを打ってくれたり、別の電話で話しているのをこそっと聞いたり。
何が何でも繋がっていたい私には、とても感謝の時間。
この日もそんな状況だった。
ちょうどベランダで一服するタイミングで電話をかけ、そのままイヤフォンをつけた状態でお仕事場に戻ったらしい。
それで、那智さんは通話状態のままトイレに寄ったんだ。(これも時々やるんだよ。変なふたり?*^^*)
おしっこが便器に落ちる音が聞こえてきた。
その音で『ああ、トイレに寄ったんだ』と理解した、その瞬間。
ぐわ〜〜〜っと欲望が溢れ出してしまった。
あああああ、那智さんのおしっこが飲みたい。
あの味が恋しい。
あれを味わいたい。
おしっこがほしい。
それと同時に、ものすごく欲情してしまった。
那智さんのおしっこに、おしっこの音に欲情しているのだ。
そこから転げ落ちるように。
那智さんのおしっこの虜になっている自分を目の当たりにする。
もう体が気持ちよくてしょうがない。
おしっこが飲みたくてしょうがない。
これを口にしていいものかためらうものの、口にしないではいられない。
6年間の付き合いではじめて、心からそう思ってしまったのだもの。
「…那智さん…」
「ん?」
「言うのためらうのですが、…わたし、那智さんのおしっこが飲みたいです…」
「そう。りん子いま感じてるだろ。」
「はい。」
「いいこだ。」
そんなことを口にすることをためらう。
もしかして、『いいこだ』が嬉しくて、そう思う込んでるんじゃないか。
可愛げないけど、ずっと自問自答してる。
だけど、この日、私の頭の中が那智さんのおしっこでいっぱいになっていて、自分に問いかける度に『おかしい私』がそれを跳ね返す。
溢れるこの欲求と快感が、疑う余地を与えてくれなかった。
那智さんは言う。
おしっこが欲しいと思ったら、その都度口に出して伝えるように。
はっきりと思ったときだけでいい。
日常、ふと『那智さんがほしい』と気持ちが競り上がるときがある(けっこう何度も^^;)
具体的に『キスしてほしい』とか『くっつきたい』とか『セックスしてほしい』とか思い描けるときもあれば、漠然と『那智さんほしい』と思うこともある。
この時『おしっこがほしい』と言えば、褒めてもらえるし喜んでくれた。
だから、漠然と思った時に『おしっこ』に気持ちを傾けようと思えばできてしまうのだ。
それを、那智さんも私も危惧していた。
褒めてほしいから、無意識に『おしっこがいい』と思い込むことはしたくない。
ふたりにとって、自然な、そして、切実な願いにしたいのだ。
だから、はっきりと思った時だけでいい、になる。
そう言われてから。
この日はずーっと。
那智さんのおしっこが飲みたくてほしくて、感じてしまって焦がれてしまって。
何度も、何度も、伝えた。
那智さん、今度会ったときにはこぼしちゃうかもしれないけど、全部ください。
飲み切れなかったらかけてください。
そうだね。
那智さん、トイレ行かないですか?
まだだよ。
早く、行って。音聞かせて。
そうだね、待っててね。
音、聞きながらオナニーしてもいいですか?
うん、いいよ。
じゃあ、今度飲みながらは?飲みながらだと『していい?』って聞けません。
そうだね、じゃあ、飲みながらの時は許可を得ないでしていいよ。
お仕事場の別のトイレで音を聞かせてもらうけど、便器が違うからいい音しないの^^;
だから。
那智さん、さっきの音のほうがいい。
そう、仕方ないね。
次はさっきのほうでして。
今度ね。
自分で触りながらこんな会話をする快感。
たまらなく気持ちいい。
この日味わった快感が、どうしても欲しいものということを決定付けていた。
それ以来。
那智さんのおしっこはほとんど飲むかかけるかしてもらってる。
洋服を着ていれば、手にかけてもらう。
ホクホクと粛々ともらってるというよりも。
あの味が好きで。
あれをかけてもらうことが嬉しくて、気持ちよくて。
でも、那智さんも私も、できるだけ正直でいたいと思うことには変わりなく。
毎回「いる?」と聞かれるし、お腹いっぱいのときは「いりません、でも、手にかけてください」とか「ちょっとだけ」なんて選んでいる。
おしっこを聖水などと言って特別なものという位置付けをしている方もいらっしゃると思うけど。
私の場合は、違うかな。
那智さんの愛撫や抱擁という感じかな。
だから、気持ちいいしほしいと思うのだろう。
味付きの愛撫や抱擁は、おいしいに繋がるのだろうか。
なぜ、おいしいと感じたか。
私なりの見解を次回に^^
いや、ただの変態ってことでもいいのだけど^^;
おしっこおいしい3
非日常的な日常
ぎゃーー、前エントリーのわたしったら!!
なんて大胆なことを書いてるの〜!!!
ちょっと調子悪くて風邪薬飲んでボーッとする中書いたので^^;
ああ、あれは通常のわたしじゃない〜。
と、言い訳しながら、『おしっこおいしい』の最終エントリー。
私たちの間で『排泄物』は、かなり重要なポイントだと思ってる。
精神的苦痛や羞恥心を煽るものでもなく、汚すという感覚でもなく。
それを喜んで摂取するというカテゴリーとして、重要なポイント。
これは『スカトロ』っていうの?
う〜ん、書いててちょっと違う気がする。
まあ、呼び名はなんでもいいのだけど。
キスをしたい、手を繋ぎたいというのと同じ線の上に成り立っていると思ってる。
キスをしたい人としてほしい人。
おしっこをあげたい人ともらいたい人。
私自身はスカトロの欲望はないつもりだったのだけど、那智さんとしてはかなり重要な願望だったのだ。
(重要っていっても年中そのことで頭がいっぱいってことじゃないですよ<那智さんフォロー^^)
那智さんの重要は、私の重要^^
ということで、ふたりにとって重要なポイント。
この手の話を書くことは、実はかなりためらう。
でも、ブログを書き続ける上で、このことは書きたい、書くべきことであることもわかっていた。
だって、ふたりにとって重要なことだから。
スカトロ(と言わせてね)関係のことを書くたびに、みんな引いてしまっていないかと恐る恐るアップしていた。
実際、読んでる方もどうリアクションしてよいか困ってしまっていたと思う。
で、今回『おしっこおいしい』をアップしたら、たくさんの方がコメントや拍手をくださった。
レスにも書いたけど、こんな日が来るなんて思っていなくて、那智さんも私もかなり感激しています。
共感はできなくても互いに認め合う、そんなスタンスを感じさせてもらえてとても感謝しています。
ということで本題!!
なぜ、おいしいと思ったのか。
これは、那智さんの持論なんだけど。
一貫して『慣れ』だと言う。
コーラやコーヒーなんかは、子供の頃はまずかっただろ?
でも、飲み慣れてくるとおいしいと思えるものなんだよ。
だから、おしっこがおいしいと思う可能性だってある。
あくまで可能性としての話だそうだ。
慣れればおいしく思えるものがあるのだから、おしっこだって可能性はあるだろう
ということ。
確かにね、ビールだって匂いのキツい食材だって、大人になるにつれておいしいと思うようになっている。
でも、おしっこは食材じゃないですよ。
そうだけど、日本で食材ではない物が外国では食べられていたりするし。
食べ物がなかったら、雑草だって食材になるかもしれないだろ?
それも慣れれば、おいしいと感じるような味覚が生まれるかもしれない。
もう少し踏み込んだ聞く。
じゃあ、那智さん、『おしっこの味』に慣れるのだったら、あなたのじゃなくて、見ず知らずの人のだとしても私は飲めることになるの?
可能性はゼロじゃない。
うっそ!!そんなの無理に決まってます!!
リアルに想像して『ひえ〜〜』となる私に
理論の上では、ゼロじゃないだろ?
愛情は必須条件だ。
那智さんだってそんなこと百も承知だし、『那智さんのだから』にしたいはずなんだけど。
『慣れればおいしいと思う可能性はある』と『愛情』を織り交ぜることをせずに、この持論を展開していた。
そして、それを元に、実に根気よく慣れさせたのだ。
慣れるには、何より継続が必要ですよね。
継続させるには、私に拒否の感情があっては始まらない。
だから、那智さんはずーっと『あげるね』『いる?』というスタンスを通している。
私が苦しくならないように飲めそうな量のときだけだし、それだって何回かに一度にしていたはずだ。
だから、毎回飲んでいたわけじゃない。
多くて2回、だいたい1回で、会っているうちの半分くらいの割合で飲ませていた。
たまに飲む適量なので、私にはそれが『飲みにくくてつらい』記憶にならないのだ。
那智さんがしてくれることは何でも嬉しいという回路になっている私にとって、たまに飲む適量のそれは『飲みにくい味だけど、うれしい』ものになる。
これが、『便器』や『処理』としての行為だとしたら、量や回数が多く飲みきるのは大変だし、また『飲みきらなくては』というプレッシャーもあるから私にとって『苦手な記憶』として残るだろう。
ということは、慣れる以前に、それは嫌な行為として拒否の気持ちが強くなってしまうはずだ。
『ちょっと飲みにくかったけど、嬉しかったね』
『今日は多かったね〜、でも、飲めたね、よかったね』
こんなスタンス。
また、このことを敢えて特別なことにもしなかった。
那智さんは極めてフラットな態度でいてくれたのも、重要だったのだと思う。
飲みきれたからといって、特別ほめることもなく。
『苦かったです〜』と訴えても、笑ってくれる。
多いな〜という日に『今日は多かったね〜』と頭をポンポンとしてくれるくらいだ。
日常の一コマとして扱ってくれたことで、私も飲みたくないときには拒否できた。
そして、褒められることがなければ、褒めてほしいがために『無意識』に我慢することもしないでいられた。
第一、那智さん以外の人でもおいしいと思う可能性はあるという『おいしい=慣れ説』は、おいしいと思えないのは愛情が足りないからだ、なんてプレッシャーを持たずにいさせてくれた。
飲むことは義務でもなくつとめでもない。
できればいいし、できなくてもかまわない。
それで『愛情』は計らない。
こんなスタンスでいてくれたから、気持ちの上で肯定できて慣れるまで繰り返すことがきたんだと思う。
こぼさないかな飲みきれるかなと心配するものの、いつしかそれを待ってしまうように、長い時間をかけて仕向けていったという感じなんだ。
那智さんの『おいしい=慣れ』説は、慣れさせる側のスタンスが重要だと思う。
拒否の気持ちがない中で慣れさせてくれれば、成功する確率が高くなるのは、ありかなと思う。
で、慣れたから=おいしいになるかどうかは、もう、これは個人の味覚の問題なので、私はたまたまそう思ったとしか言えないのだけど。
ああ、そこの味覚の不思議が解明できればいいのですが…^^;
私にとって愛情は必須条件だ。
だけど、少なくとも、愛情だけで成功するものではないと思ってる。
いま、振り返るとほんとに、ゆっくり的確に慣れさせてくれたと思う。
ってほど、那智さんにとっては、これは重要事項だったのですね。
那智さんの『好きな人に自分の排泄物を与えたい』という願望。
こうやって振り返ると、それを静かに、でも的確に叶えようとしているのがわかる。
もう、那智さんったら、変態^^
わんこより、こちらのほうに私は那智さんの変態性を感じる。
なんだか、ちょっと、いとおしい。
そして、那智さんの重要事項は、私の重要事項と思うのだ。
ベッドに寝ころぶ那智さんのおしっこを飲んで。
そのまま腕枕に戻る。
全部飲めてよかったと、ちょっと照れ笑いを浮かべて。
「なに笑ってるの」
「ふふ」
あ、多分、私いま那智さんのおしっこの匂いしてるはず。
口から匂い立つ感じがするもの。
いいのかな、那智さん自分のだから、平気なのかな。
那智さんの腕枕に戻り、顔を近づけるのを一瞬ためらう気持ち。
「嬉しそうだよ」
そういってそのままキスをしてくれる。
いま、おしっこを飲んだ口に、そのまま。
変態同士の甘いキス。
こんなふうにしてくれるから、それは汚い物でも特殊な物でもなくなるの。
それを何年も続けたから、おいしいと感じてもおかしくないかな〜って思うのですが、いかがでしょ?(笑)
ぎゃーー、前エントリーのわたしったら!!
なんて大胆なことを書いてるの〜!!!
ちょっと調子悪くて風邪薬飲んでボーッとする中書いたので^^;
ああ、あれは通常のわたしじゃない〜。
と、言い訳しながら、『おしっこおいしい』の最終エントリー。
私たちの間で『排泄物』は、かなり重要なポイントだと思ってる。
精神的苦痛や羞恥心を煽るものでもなく、汚すという感覚でもなく。
それを喜んで摂取するというカテゴリーとして、重要なポイント。
これは『スカトロ』っていうの?
う〜ん、書いててちょっと違う気がする。
まあ、呼び名はなんでもいいのだけど。
キスをしたい、手を繋ぎたいというのと同じ線の上に成り立っていると思ってる。
キスをしたい人としてほしい人。
おしっこをあげたい人ともらいたい人。
私自身はスカトロの欲望はないつもりだったのだけど、那智さんとしてはかなり重要な願望だったのだ。
(重要っていっても年中そのことで頭がいっぱいってことじゃないですよ<那智さんフォロー^^)
那智さんの重要は、私の重要^^
ということで、ふたりにとって重要なポイント。
この手の話を書くことは、実はかなりためらう。
でも、ブログを書き続ける上で、このことは書きたい、書くべきことであることもわかっていた。
だって、ふたりにとって重要なことだから。
スカトロ(と言わせてね)関係のことを書くたびに、みんな引いてしまっていないかと恐る恐るアップしていた。
実際、読んでる方もどうリアクションしてよいか困ってしまっていたと思う。
で、今回『おしっこおいしい』をアップしたら、たくさんの方がコメントや拍手をくださった。
レスにも書いたけど、こんな日が来るなんて思っていなくて、那智さんも私もかなり感激しています。
共感はできなくても互いに認め合う、そんなスタンスを感じさせてもらえてとても感謝しています。
ということで本題!!
なぜ、おいしいと思ったのか。
これは、那智さんの持論なんだけど。
一貫して『慣れ』だと言う。
コーラやコーヒーなんかは、子供の頃はまずかっただろ?
でも、飲み慣れてくるとおいしいと思えるものなんだよ。
だから、おしっこがおいしいと思う可能性だってある。
あくまで可能性としての話だそうだ。
慣れればおいしく思えるものがあるのだから、おしっこだって可能性はあるだろう
ということ。
確かにね、ビールだって匂いのキツい食材だって、大人になるにつれておいしいと思うようになっている。
でも、おしっこは食材じゃないですよ。
そうだけど、日本で食材ではない物が外国では食べられていたりするし。
食べ物がなかったら、雑草だって食材になるかもしれないだろ?
それも慣れれば、おいしいと感じるような味覚が生まれるかもしれない。
もう少し踏み込んだ聞く。
じゃあ、那智さん、『おしっこの味』に慣れるのだったら、あなたのじゃなくて、見ず知らずの人のだとしても私は飲めることになるの?
可能性はゼロじゃない。
うっそ!!そんなの無理に決まってます!!
リアルに想像して『ひえ〜〜』となる私に
理論の上では、ゼロじゃないだろ?
愛情は必須条件だ。
那智さんだってそんなこと百も承知だし、『那智さんのだから』にしたいはずなんだけど。
『慣れればおいしいと思う可能性はある』と『愛情』を織り交ぜることをせずに、この持論を展開していた。
そして、それを元に、実に根気よく慣れさせたのだ。
慣れるには、何より継続が必要ですよね。
継続させるには、私に拒否の感情があっては始まらない。
だから、那智さんはずーっと『あげるね』『いる?』というスタンスを通している。
私が苦しくならないように飲めそうな量のときだけだし、それだって何回かに一度にしていたはずだ。
だから、毎回飲んでいたわけじゃない。
多くて2回、だいたい1回で、会っているうちの半分くらいの割合で飲ませていた。
たまに飲む適量なので、私にはそれが『飲みにくくてつらい』記憶にならないのだ。
那智さんがしてくれることは何でも嬉しいという回路になっている私にとって、たまに飲む適量のそれは『飲みにくい味だけど、うれしい』ものになる。
これが、『便器』や『処理』としての行為だとしたら、量や回数が多く飲みきるのは大変だし、また『飲みきらなくては』というプレッシャーもあるから私にとって『苦手な記憶』として残るだろう。
ということは、慣れる以前に、それは嫌な行為として拒否の気持ちが強くなってしまうはずだ。
『ちょっと飲みにくかったけど、嬉しかったね』
『今日は多かったね〜、でも、飲めたね、よかったね』
こんなスタンス。
また、このことを敢えて特別なことにもしなかった。
那智さんは極めてフラットな態度でいてくれたのも、重要だったのだと思う。
飲みきれたからといって、特別ほめることもなく。
『苦かったです〜』と訴えても、笑ってくれる。
多いな〜という日に『今日は多かったね〜』と頭をポンポンとしてくれるくらいだ。
日常の一コマとして扱ってくれたことで、私も飲みたくないときには拒否できた。
そして、褒められることがなければ、褒めてほしいがために『無意識』に我慢することもしないでいられた。
第一、那智さん以外の人でもおいしいと思う可能性はあるという『おいしい=慣れ説』は、おいしいと思えないのは愛情が足りないからだ、なんてプレッシャーを持たずにいさせてくれた。
飲むことは義務でもなくつとめでもない。
できればいいし、できなくてもかまわない。
それで『愛情』は計らない。
こんなスタンスでいてくれたから、気持ちの上で肯定できて慣れるまで繰り返すことがきたんだと思う。
こぼさないかな飲みきれるかなと心配するものの、いつしかそれを待ってしまうように、長い時間をかけて仕向けていったという感じなんだ。
那智さんの『おいしい=慣れ』説は、慣れさせる側のスタンスが重要だと思う。
拒否の気持ちがない中で慣れさせてくれれば、成功する確率が高くなるのは、ありかなと思う。
で、慣れたから=おいしいになるかどうかは、もう、これは個人の味覚の問題なので、私はたまたまそう思ったとしか言えないのだけど。
ああ、そこの味覚の不思議が解明できればいいのですが…^^;
私にとって愛情は必須条件だ。
だけど、少なくとも、愛情だけで成功するものではないと思ってる。
いま、振り返るとほんとに、ゆっくり的確に慣れさせてくれたと思う。
ってほど、那智さんにとっては、これは重要事項だったのですね。
那智さんの『好きな人に自分の排泄物を与えたい』という願望。
こうやって振り返ると、それを静かに、でも的確に叶えようとしているのがわかる。
もう、那智さんったら、変態^^
わんこより、こちらのほうに私は那智さんの変態性を感じる。
なんだか、ちょっと、いとおしい。
そして、那智さんの重要事項は、私の重要事項と思うのだ。
ベッドに寝ころぶ那智さんのおしっこを飲んで。
そのまま腕枕に戻る。
全部飲めてよかったと、ちょっと照れ笑いを浮かべて。
「なに笑ってるの」
「ふふ」
あ、多分、私いま那智さんのおしっこの匂いしてるはず。
口から匂い立つ感じがするもの。
いいのかな、那智さん自分のだから、平気なのかな。
那智さんの腕枕に戻り、顔を近づけるのを一瞬ためらう気持ち。
「嬉しそうだよ」
そういってそのままキスをしてくれる。
いま、おしっこを飲んだ口に、そのまま。
変態同士の甘いキス。
こんなふうにしてくれるから、それは汚い物でも特殊な物でもなくなるの。
それを何年も続けたから、おいしいと感じてもおかしくないかな〜って思うのですが、いかがでしょ?(笑)
エクセレントなアクセサリー^^
独り言
KIRAさんの『KIRA’S BODYアクセサリー』より商品が届きました^^
っていうか、那智さんに『買って〜』とおねだり♪
だから、まずは那智さんの手に、そして、デートの時を待って私の元に届いたというわけです。
皮のチョーカー。
サテンリボンのチョーカーとブレスレット
それと画像を残していないのだけど、まさかの(?)ニップルアクセサリー。
チョーカーだけだと思っていたら、ブレスレットとニップルアクセサリーまで。
革のチョーカーは、鍵と錠前のデザインや型押しの模様が可愛らしくて、ハードになりすぎず意外と着回しがききそう^^
何より鍵と錠前がアクセントになっていてほんの少し意味深な感じが、いいです。
拘束感を静かに感じるものでした。
サテンリボンのチョーカーは、お揃いのビーズをあしらったブレスレットと合わせると、も〜〜とっても可愛いの!!
あれ?わたしって、良いとこのお嬢さんだったっけ〜って勘違いしてしまいそうな組み合わせ^^
なんだか、ちょっと『おすまし』したくなっちゃいます。
それぞれ違ったイメージになるチョーカーです。
このあたりは、ふつーにアクセサリーとしてすごく可愛い!!
Mとかお相手のことなど関係なく、充分使えます^^
で、今回特に『エクセレント〜!!』だったことがふたつありまして。
ひとつは私の想定になかったニップルアクセサリー。
もともと那智さんにはボディアクセサリーの嗜好はなかったですし、私もなんだか照れ臭くて、そんな飾るほどのもんじゃございません^^;とご遠慮願っていたのです。
でも、那智さんは飾るというより『責め具』としてのアクセサリーならありかなと思ったらしく(そのあたりはKIRAさんのブログでリクエストしてます、きつく締められるのはないですかって)。
じゃあ、実際どれくらい締められるのかやってみようということで、揃えたみたい^^;
目の前には、ニップルアクセ。
うう、恥ずかしい、それを身につけることを想像するだけで、のけ反ってしまう。
でも…、でも、やばい、すんごく可愛い…。
それを付けた私まで『すんごく可愛く』なれてしまいそう。
でもって、そこに付けるって考えただけで、M心をくすぐるのだ。
那智さんに付けてもらった。
びっくり、なんていうのかな、とても付け心地がいいのだ。
痛くないし、違和感を感じない。
とてもお行儀よく乳首に収まってくれる。
見たい…、でも恥ずかしくて直視できなーい!!
だめだ、このあたりから感じてしまって、冷静にレポーターの役割を果たせないです。
案の定、そこからきつく締めた。
飛び上がるほどではないけれど、やはり痛い。
そして、ちゃんと作られているからすぐに緩んでくることもないみたい。
(責め具じゃないので、徐々に適度に広がります。でも、落ちるような広がりにはならないです)
もう、恥ずかしくて、でも、可愛くて、更に痛くて、もうふにゃふにゃ*^^*
驚くことに、絞られた乳首は異常に敏感になるのだ。
那智さんに、摘まれたり弾かれたり、引っ張られたりしているだけで、何度もいってしまった^^;
(ひゃーーー、レポート恥ずかしいよ〜。後日、また切り替えて、別な気持ちでエントリーすると思います〜笑)
とにかくニップルアクセサリー、あなどるなかれ、です^^
あのね。
キラキラしたもので体を飾ることの高揚は、想像以上に気持ちがよかった。
M女さんだけじゃなくて、アクセサリーとしてもいいじゃないかしら。
気持ちひとつで、密かな女っぷりアップアイテムになると思うのだ。
それとあの付け心地の良さも特筆すべき点(私だけかな?)
とても馴染むのだけど、普通じゃない状態という感じで、不思議な癒しを感じてしまったのだ。
で、実際に、気持ちいい*^^*
ということで、ニップルアクセサリーの心身共に気持ちよさに、やられてしまった。
感覚はそれぞれだから、私と同じように感じるかはわからないけど。
あの付け心地は女度アップに、おすすめです。
それと、今回はKIRAさんに無理を聞いてもらったのだ。
那智さんが『120%クレームにはしないから、KIRAさんにりん子をイメージする色を選んでもらえないか』とリクエストしたのだ。
那智さん、普段ビーズの発色なんか気にしないからどうも画像だけでは選びきれなかったそうで、それならKIRAさんに選んでもらおうということになったのです。
これだけブログで自分のことを書いているからKIRAさんのイメージしやすんじゃないかと甘えてしまったのです。
KIRAさんは快く引き受けてくださいました。
どんな色を選んでくれるのか、それもすごーく楽しみでした。
選んでくれた色は。
『モンタナ』というブルー。
ブルーと書きましたが、ブルーとひとくちには言い表せない味わいのある色。
青でも紺でもない。
少しグレーが混ざったような深い色。
それが、光に当たると一瞬鮮やかな海の色に輝くのだ。
それにシルバーを合わせると、とてもシックな印象になる。
KIRAさんは、この色に『静かな情熱』をイメージされているそうで、うふふ、なんだか私かっこいいぞ^^と上機嫌です。
まさに『静かな情熱』を思わせるこの組み合わせ、一気にファンになってしまいました。
アクセサリーが届く前に、那智さんなら何色をイメージするかって話していてね。
多分ブルー系統だなって言ってたの。
だから、那智さんも納得。
それと『俺の前で見せるりん子だったらピンクなんだけどな』とも言っていたんだ。
そしたら、これも偶然なんだけど、KIRAさんはニップルアクセサリーのほうはピンクを選んでくれたのです。
このピンクがまたとても可愛いのだ。
私の中の小さな女の子は大喜び。
『過去の私、未来の私』というエントリーで幸せの涙を流すことを書いたけど、それに拍手コメントをくれた大切なお友達が『幸せの涙は薄ピンク、りん子さんがいつまでもその涙を流せますように』とメッセージをくれた。
そんな幸せな涙を思い出させるピンクだった。
う〜ん、KIRAさんよくわかってらっしゃる^^
選んでくださった色にも大満足なのでした。
本来は、自分で選ぶもので。
もしご自分で選ぶなら、是非冒険することをおすすめします。
人はつい無難な色を選びがちだけど、特にニップルアクセなどは基本的には表には出さないものなので、ここは『なりたい自分』をイメージするのはどうでしょう^^
仕事で新婦とお話しすると、みなさん『お色直しのドレスの色で悩む』と話してくれます。
普段の自分のイメージカラーで着飾ると、どうも似合わないのだそうです。
思い切って普段着ないような色を着てみると、それが良かったりして、余計に悩むのだそう。
きっとね、着飾ることは、ちょっとだけ非日常なんだ。
非日常は、日常色は似合わないんじゃないかな。
その高揚感がまた女性をきれいにするとも思う。
だから、思いっきり非日常、『なりたい自分』がいいと思うのです。
新しい発見があるかもしれませんよ^^
多分、自分だったらピンクは選ばなかったと思う。(ほんとは憧れているくせにね^^;『ピンク2、3』)
ピンクのニップルアクセは、ある意味冒険。
恥ずかしくて直視できなかったけど、きっと新しい私発見だったと思うのだ。
なんだかとってもくすぐったい気持ちだったからね*^^*
採寸から始まって、届くまでのワクワク、実際に身につけた時の高揚やくすぐったい発見。
たくさん楽しい思いができて、とても贅沢なボディアクセサリーでした。
KIRAさん、すてきな時間をありがとう^^
みなさんもいかがでしょ?
女っぷりアップに一役買ってくれそうです♪
KIRAさんの『KIRA’S BODYアクセサリー』より商品が届きました^^
っていうか、那智さんに『買って〜』とおねだり♪
だから、まずは那智さんの手に、そして、デートの時を待って私の元に届いたというわけです。
皮のチョーカー。
サテンリボンのチョーカーとブレスレット
それと画像を残していないのだけど、まさかの(?)ニップルアクセサリー。
チョーカーだけだと思っていたら、ブレスレットとニップルアクセサリーまで。
革のチョーカーは、鍵と錠前のデザインや型押しの模様が可愛らしくて、ハードになりすぎず意外と着回しがききそう^^
何より鍵と錠前がアクセントになっていてほんの少し意味深な感じが、いいです。
拘束感を静かに感じるものでした。
サテンリボンのチョーカーは、お揃いのビーズをあしらったブレスレットと合わせると、も〜〜とっても可愛いの!!
あれ?わたしって、良いとこのお嬢さんだったっけ〜って勘違いしてしまいそうな組み合わせ^^
なんだか、ちょっと『おすまし』したくなっちゃいます。
それぞれ違ったイメージになるチョーカーです。
このあたりは、ふつーにアクセサリーとしてすごく可愛い!!
Mとかお相手のことなど関係なく、充分使えます^^
で、今回特に『エクセレント〜!!』だったことがふたつありまして。
ひとつは私の想定になかったニップルアクセサリー。
もともと那智さんにはボディアクセサリーの嗜好はなかったですし、私もなんだか照れ臭くて、そんな飾るほどのもんじゃございません^^;とご遠慮願っていたのです。
でも、那智さんは飾るというより『責め具』としてのアクセサリーならありかなと思ったらしく(そのあたりはKIRAさんのブログでリクエストしてます、きつく締められるのはないですかって)。
じゃあ、実際どれくらい締められるのかやってみようということで、揃えたみたい^^;
目の前には、ニップルアクセ。
うう、恥ずかしい、それを身につけることを想像するだけで、のけ反ってしまう。
でも…、でも、やばい、すんごく可愛い…。
それを付けた私まで『すんごく可愛く』なれてしまいそう。
でもって、そこに付けるって考えただけで、M心をくすぐるのだ。
那智さんに付けてもらった。
びっくり、なんていうのかな、とても付け心地がいいのだ。
痛くないし、違和感を感じない。
とてもお行儀よく乳首に収まってくれる。
見たい…、でも恥ずかしくて直視できなーい!!
だめだ、このあたりから感じてしまって、冷静にレポーターの役割を果たせないです。
案の定、そこからきつく締めた。
飛び上がるほどではないけれど、やはり痛い。
そして、ちゃんと作られているからすぐに緩んでくることもないみたい。
(責め具じゃないので、徐々に適度に広がります。でも、落ちるような広がりにはならないです)
もう、恥ずかしくて、でも、可愛くて、更に痛くて、もうふにゃふにゃ*^^*
驚くことに、絞られた乳首は異常に敏感になるのだ。
那智さんに、摘まれたり弾かれたり、引っ張られたりしているだけで、何度もいってしまった^^;
(ひゃーーー、レポート恥ずかしいよ〜。後日、また切り替えて、別な気持ちでエントリーすると思います〜笑)
とにかくニップルアクセサリー、あなどるなかれ、です^^
あのね。
キラキラしたもので体を飾ることの高揚は、想像以上に気持ちがよかった。
M女さんだけじゃなくて、アクセサリーとしてもいいじゃないかしら。
気持ちひとつで、密かな女っぷりアップアイテムになると思うのだ。
それとあの付け心地の良さも特筆すべき点(私だけかな?)
とても馴染むのだけど、普通じゃない状態という感じで、不思議な癒しを感じてしまったのだ。
で、実際に、気持ちいい*^^*
ということで、ニップルアクセサリーの心身共に気持ちよさに、やられてしまった。
感覚はそれぞれだから、私と同じように感じるかはわからないけど。
あの付け心地は女度アップに、おすすめです。
それと、今回はKIRAさんに無理を聞いてもらったのだ。
那智さんが『120%クレームにはしないから、KIRAさんにりん子をイメージする色を選んでもらえないか』とリクエストしたのだ。
那智さん、普段ビーズの発色なんか気にしないからどうも画像だけでは選びきれなかったそうで、それならKIRAさんに選んでもらおうということになったのです。
これだけブログで自分のことを書いているからKIRAさんのイメージしやすんじゃないかと甘えてしまったのです。
KIRAさんは快く引き受けてくださいました。
どんな色を選んでくれるのか、それもすごーく楽しみでした。
選んでくれた色は。
『モンタナ』というブルー。
ブルーと書きましたが、ブルーとひとくちには言い表せない味わいのある色。
青でも紺でもない。
少しグレーが混ざったような深い色。
それが、光に当たると一瞬鮮やかな海の色に輝くのだ。
それにシルバーを合わせると、とてもシックな印象になる。
KIRAさんは、この色に『静かな情熱』をイメージされているそうで、うふふ、なんだか私かっこいいぞ^^と上機嫌です。
まさに『静かな情熱』を思わせるこの組み合わせ、一気にファンになってしまいました。
アクセサリーが届く前に、那智さんなら何色をイメージするかって話していてね。
多分ブルー系統だなって言ってたの。
だから、那智さんも納得。
それと『俺の前で見せるりん子だったらピンクなんだけどな』とも言っていたんだ。
そしたら、これも偶然なんだけど、KIRAさんはニップルアクセサリーのほうはピンクを選んでくれたのです。
このピンクがまたとても可愛いのだ。
私の中の小さな女の子は大喜び。
『過去の私、未来の私』というエントリーで幸せの涙を流すことを書いたけど、それに拍手コメントをくれた大切なお友達が『幸せの涙は薄ピンク、りん子さんがいつまでもその涙を流せますように』とメッセージをくれた。
そんな幸せな涙を思い出させるピンクだった。
う〜ん、KIRAさんよくわかってらっしゃる^^
選んでくださった色にも大満足なのでした。
本来は、自分で選ぶもので。
もしご自分で選ぶなら、是非冒険することをおすすめします。
人はつい無難な色を選びがちだけど、特にニップルアクセなどは基本的には表には出さないものなので、ここは『なりたい自分』をイメージするのはどうでしょう^^
仕事で新婦とお話しすると、みなさん『お色直しのドレスの色で悩む』と話してくれます。
普段の自分のイメージカラーで着飾ると、どうも似合わないのだそうです。
思い切って普段着ないような色を着てみると、それが良かったりして、余計に悩むのだそう。
きっとね、着飾ることは、ちょっとだけ非日常なんだ。
非日常は、日常色は似合わないんじゃないかな。
その高揚感がまた女性をきれいにするとも思う。
だから、思いっきり非日常、『なりたい自分』がいいと思うのです。
新しい発見があるかもしれませんよ^^
多分、自分だったらピンクは選ばなかったと思う。(ほんとは憧れているくせにね^^;『ピンク2、3』)
ピンクのニップルアクセは、ある意味冒険。
恥ずかしくて直視できなかったけど、きっと新しい私発見だったと思うのだ。
なんだかとってもくすぐったい気持ちだったからね*^^*
採寸から始まって、届くまでのワクワク、実際に身につけた時の高揚やくすぐったい発見。
たくさん楽しい思いができて、とても贅沢なボディアクセサリーでした。
KIRAさん、すてきな時間をありがとう^^
みなさんもいかがでしょ?
女っぷりアップに一役買ってくれそうです♪
許容
独特な幸福感
わたしの排泄姿のほんとどを那智さんは見ている。(『排尿』)
もちろん、お出かけしているときやお店の中などは抜いてね。
ホテルは当然のこと、仕事場に行ったときでさえ。
特にホテルでは、見ていないのは6年間の付き合いで数回くらいしかないんじゃないかな。
ベッドで寛いでいても、タバコを吸っていても、忙しくてすぐ行かれそうにないときは『待って』と言って手があくまで我慢させたり、後から駆けつけたり^^;
はじめの頃は恥ずかしさを刺激するような空気だったけど。
ここまでいつもだとプレイでもなんでもない、かなりの日常だ。(恥ずかしいのは恥ずかしいけど)
で、見るだけじゃなくて、かなりの確率で拭いてくれる*^^*
大好きな人に排泄している姿を見せる。
それもトイレでだけじゃなくて、いろんな姿勢やいろんな場所で。(『身内の恥』なんて昔の話^^)
音や匂いまでついてくる。
恥ずかしくてしょうがいない行為。
だから、排泄姿を見せる羞恥プレイというものがあるのだよね。
だけど、最近、この姿を見せるときに感じるのは恥ずかしさだけじゃないんだ。
むしろ恥ずかしさを上回る感情。
それは『許容』。
浣腸して紙おむつに排泄したとき。(『一番困ったこと3』)
うんこまみれのわたしの下半身を丁寧に洗ってくれた。
わたしはただ立ったまま、恥ずかしさのあまり両手で顔を覆っていただけだった。
洗面器におしっこをしたときも、洗面器を跨いだまま動けずにいる私を、トイレットペーパーを取りに行ってくれて、拭いてくれる。(『コンビニ袋』、ちょっと違う話だけど)
おもらしをして汚れた下着を洗って、ドライヤーで渇かしてくれるときの空気。(『制服とおもらし』)
便器に座って『那智さ〜ん、出ます〜』そう呼ぶとタバコをくわえながら必ず見に来てくれる姿。
恥ずかしいのは変わりないし、からかわれたりもするけれど。
そのときにわたしは、無防備なわたしを許容してもらっている、安心した気持ちになるのだ。
ホテルで。
トイレに行きたくなって「那智さん、トイレ行ってきます」と席を立った。
「どうぞ〜」とだけ返事をしてソファで寛ぐ那智さん。
あれ?来てくれないんだ。
いままでも数回はこんなふうに一人で行くことはあったのだけど、簡単に送り出すこんな雰囲気はめずらしい
かった。
ぽつんと便器に座る。
洗面所と一緒になった広いトイレだったから、余計に『ぽつん』とした感じ。
当たり前のこと。
トイレは一人で入るものだ。
だけど、来てくれないことがこんなに淋しいなんて。
人はいつか慣れるもの。
相変わらず恥ずかしけど、恥ずかしがる姿を見飽きることはあるかもしれない。
6年間来てくれていたけど、来年からは来てくれなくなるかもしれない。
そんな日が来ても悲しくならないように、心構えしなきゃってトイレの中で真剣に考えた。
ガチャ。
ドアが空いて那智さんが入ってきた。
あ、来てくれた。
途端に涙が出てしまった。
『どうぞ〜』という口調からは来てくれない感じがしていたけど、そういうつもりじゃなかったみたい。
「那智さん、来てくれないのかと思いました;;;」
「どうぞ〜って突き放した言い方したからね。」
「那智さんいつか見に来るのが面倒になったら、『これからは行かないよ』って宣言してくれませんか。そしたら悲しくならないようにしますから;;;;」
「そうだね。」
うつむいて、こんな変なお願いをする。
そこには恥ずかしさを煽るような空気は、ない。
便器に座りながらポロポロ涙を流すわたしの前に立ち。
那智さんがおしっこをかけてきた、わたしのおまんこに。
自分のおしっこで濡れたおまんこを那智さんのおしっこでまた濡らす。
わたしの皮膚と便器の中で、那智さんとわたしのそれが混ざり合う。
そんなことが、なんだか温かく、嬉しい。
そして、興奮する。
おしっこしているわたしも。
見てくれないと泣くわたしも。
おしっこが混ざって喜ぶわたしも。
全部、全部、許容してもらっているようだ。
赤ん坊がおむつを替えてもらっているような、無防備な幸福。
SMの世界では、排泄行為を見せるのは辱めることなのかもしれないけど。
わたしにとってのそれは、無防備なわたしを許容してもらっている幸福。
那智さんのおしっこをおいしいと思い。
自分のおしっこを見てくれないと泣き。
おしっこで、興奮する。
SMに興味を持ち、排泄行為を見せることを想像して感じていたときのイメージとずいぶん変わってきているように思う。
だって、見てくれないって泣いちゃうんだものね^^;
わ〜、おしっこの話ばかりで、すみませ〜ん(笑)
わたしの排泄姿のほんとどを那智さんは見ている。(『排尿』)
もちろん、お出かけしているときやお店の中などは抜いてね。
ホテルは当然のこと、仕事場に行ったときでさえ。
特にホテルでは、見ていないのは6年間の付き合いで数回くらいしかないんじゃないかな。
ベッドで寛いでいても、タバコを吸っていても、忙しくてすぐ行かれそうにないときは『待って』と言って手があくまで我慢させたり、後から駆けつけたり^^;
はじめの頃は恥ずかしさを刺激するような空気だったけど。
ここまでいつもだとプレイでもなんでもない、かなりの日常だ。(恥ずかしいのは恥ずかしいけど)
で、見るだけじゃなくて、かなりの確率で拭いてくれる*^^*
大好きな人に排泄している姿を見せる。
それもトイレでだけじゃなくて、いろんな姿勢やいろんな場所で。(『身内の恥』なんて昔の話^^)
音や匂いまでついてくる。
恥ずかしくてしょうがいない行為。
だから、排泄姿を見せる羞恥プレイというものがあるのだよね。
だけど、最近、この姿を見せるときに感じるのは恥ずかしさだけじゃないんだ。
むしろ恥ずかしさを上回る感情。
それは『許容』。
浣腸して紙おむつに排泄したとき。(『一番困ったこと3』)
うんこまみれのわたしの下半身を丁寧に洗ってくれた。
わたしはただ立ったまま、恥ずかしさのあまり両手で顔を覆っていただけだった。
洗面器におしっこをしたときも、洗面器を跨いだまま動けずにいる私を、トイレットペーパーを取りに行ってくれて、拭いてくれる。(『コンビニ袋』、ちょっと違う話だけど)
おもらしをして汚れた下着を洗って、ドライヤーで渇かしてくれるときの空気。(『制服とおもらし』)
便器に座って『那智さ〜ん、出ます〜』そう呼ぶとタバコをくわえながら必ず見に来てくれる姿。
恥ずかしいのは変わりないし、からかわれたりもするけれど。
そのときにわたしは、無防備なわたしを許容してもらっている、安心した気持ちになるのだ。
ホテルで。
トイレに行きたくなって「那智さん、トイレ行ってきます」と席を立った。
「どうぞ〜」とだけ返事をしてソファで寛ぐ那智さん。
あれ?来てくれないんだ。
いままでも数回はこんなふうに一人で行くことはあったのだけど、簡単に送り出すこんな雰囲気はめずらしい
かった。
ぽつんと便器に座る。
洗面所と一緒になった広いトイレだったから、余計に『ぽつん』とした感じ。
当たり前のこと。
トイレは一人で入るものだ。
だけど、来てくれないことがこんなに淋しいなんて。
人はいつか慣れるもの。
相変わらず恥ずかしけど、恥ずかしがる姿を見飽きることはあるかもしれない。
6年間来てくれていたけど、来年からは来てくれなくなるかもしれない。
そんな日が来ても悲しくならないように、心構えしなきゃってトイレの中で真剣に考えた。
ガチャ。
ドアが空いて那智さんが入ってきた。
あ、来てくれた。
途端に涙が出てしまった。
『どうぞ〜』という口調からは来てくれない感じがしていたけど、そういうつもりじゃなかったみたい。
「那智さん、来てくれないのかと思いました;;;」
「どうぞ〜って突き放した言い方したからね。」
「那智さんいつか見に来るのが面倒になったら、『これからは行かないよ』って宣言してくれませんか。そしたら悲しくならないようにしますから;;;;」
「そうだね。」
うつむいて、こんな変なお願いをする。
そこには恥ずかしさを煽るような空気は、ない。
便器に座りながらポロポロ涙を流すわたしの前に立ち。
那智さんがおしっこをかけてきた、わたしのおまんこに。
自分のおしっこで濡れたおまんこを那智さんのおしっこでまた濡らす。
わたしの皮膚と便器の中で、那智さんとわたしのそれが混ざり合う。
そんなことが、なんだか温かく、嬉しい。
そして、興奮する。
おしっこしているわたしも。
見てくれないと泣くわたしも。
おしっこが混ざって喜ぶわたしも。
全部、全部、許容してもらっているようだ。
赤ん坊がおむつを替えてもらっているような、無防備な幸福。
SMの世界では、排泄行為を見せるのは辱めることなのかもしれないけど。
わたしにとってのそれは、無防備なわたしを許容してもらっている幸福。
那智さんのおしっこをおいしいと思い。
自分のおしっこを見てくれないと泣き。
おしっこで、興奮する。
SMに興味を持ち、排泄行為を見せることを想像して感じていたときのイメージとずいぶん変わってきているように思う。
だって、見てくれないって泣いちゃうんだものね^^;
わ〜、おしっこの話ばかりで、すみませ〜ん(笑)